思い出は綺麗なままで

『ちょっと思い出しただけ』を観て、すぐに思い浮かんだ顔があった。思い出したくなかったあの顔はやっぱりとても美しかった。いつか街で偶然出会ったときは、どうかかっこよくならないでと願うほどにだ。映画で観たあのシーンは、たしかに私たちの生活そのものである。誕生日に2人で食べたいちごが乗ったケーキは、いつもより格段に美味しかった。水族館に侵入したシーンは流石に現実味がなかったけれど、潰れてしまった地元のカラオケ屋さんに侵入したことがあったような気もする。

そういえば思い出した人もいれば、ちっとも思い出せない人もいた。あの人はどんな顔だったっけ?とはてなマークが頭に浮かんだ。たしかに恋をしたはずなのに、どうも思い出せない。年齢のせいかと思ったけれど、そこまで好きじゃなかった人は、顔も名前も思い出せないのかもしれない。恋に限らず印象に残らなかった人は思い出せないもので、通行人程度の役割しか与えられないのだろう。

喪失を後悔するぐらいならば、もっと大切にすれば良かったのにとよく人は言う。簡単に言いやがってとも思う。愛する人を大切にする方法はたくさんの経験を積んだからわかることで、当時の私は知らなかった。好きな男と別れてからわかることだってあるし、失恋も一概に悪いとは思えない。失恋したけれど、たしかにあのときの私は幸せだったからそれでいいんだと思う。

恋なんてもう2度としないと思っていた時期もあるけれど、私にはやっぱり恋が必要みたいだ。ずっと同じ人といたいと思っているのに、同じ過ちを繰り返して、28歳になった。いまはもう30歳になって、2年の交際を経て、ついに婚約にまで至ったのだ。婚約する前に好きになった人との恋はいつもうまくいかなかったし、男を見る目がないと何度も友人に怒られていた。それでも恋をやめなかった理由は、恋で幸せになれると本気で思っていたからなんだろう。

失恋は時間が解決するとよく言うが、時間が経てば経つほどに思い出が綺麗になると相場で決まっている。人間は少しずつ老いていくけれど、写真の中の2人はいつまでも色褪せないままだ。失恋した直後に写真を捨てれば良かったと自分でも思う。でも、復縁できると思っていたから捨てなかった。最終的には写真の存在を忘れたまま今日を迎えて『ちょっと思い出しただけ』を観て、その事実を思い出した。

恋にハマればハマるほどに、2人だけの秘密が少しずつ増えていく。その瞬間に愛おしさを感じていたし、幸せがずっと続けばいいと願っていた。夜の公園で花火をしたこと。桜の花びらが舞い落ちる瞬間を2人並んで見たこと。深夜にいきなりドライブに行くぞと叩き起こされたこと。ヒールの踵が外れたときに、新しい靴を買ってくれたこと。自分のために使ったことがないと言って、いつでも財布の中に絆創膏が入れていたこと。海遊館で無邪気に魚を見ながら「いいよなぁ。俺も魚みたいに自由に泳ぎ回りたい」とバカみたいなことを大真面目に言っていたこと。ビッグシルエットが流行っていると、ユニクロで買ったビッグシルエットTシャツを3日に1回は着ていたこと。優柔不断なのにいざとなったら頼りになるところ。私の愚痴を黙ってうんうんと聞いていたこと。深夜のデザートは体に悪いと言いながらコンビニでアイスとチーズケーキを買った深夜。友達と飲みに行った日はいつも駅まで迎えにきてくれたこと。スマホの待ち受けがいつも2人の写真だったこと。本当にくだらない思い出ばかりで、思い出しただけで笑えてくる。1番幸せを願って、1番傷付けた結果、いつしか他愛のない日常がなくなって、2人の生活が1人になった。最初は寂しさもあったけれど、今はなんてことはない。だから、ちょっと思い出しただけ。

本気で好きになればなるほどに相手との思い出は濃くなって、忘れられない可能性は高まっていくし、たとえ忘れたとしても、それは一時的なもので、なにかのきっかけでどうせ思い出してしまう。恋によって成長してきた、と同時に恋によって退化してきた。失恋による感受性の劣化。痛みには鈍感になって、人生こんなものかと割り切れる強さを身につけた。人はひょんなきっかけでいきなりどこかへ行く。なんて嘘だ。綺麗に回っていた歯車は少しずつずれていくもので、小さな積み重ねの連続が、人を失うに至らせる。これだけは絶対に義務教育で教えたほうがいい。頼むぞ、教育庁。

結婚は離婚届を出す必要があるから慎重にならざるを得ないけれど、恋愛は結婚と違って勝手に終わるため、気軽にしてもいい。最初は好きじゃなくてもお試しで付き合えばいいし、好きかもしれないが好きに変わる場合もある。嫌いと思ったら会わなければいいだけの話。相手が付き合っていると思っていても、こちらから一方的に突き放してしまえば、簡単に関係を終わらせることができる。なんて嫌いになるまでは好きだったのに、人間ってやつは好都合な生き物だ。

どうやら誰かの優しさは誰かを傷つけた結果、身につけた優しさらしい。だとすれば、私は婚約者にどんな顔をして優しさを与えればいいのだろうか。誰かに言っていた使い古しの愛してるは何の効果もない。言葉は行動がセットじゃなきゃ信じちゃいけないし、たとえ行動がセットだとしても、簡単に裏切られる場合もある。なんて考えるだけ無駄か。裏切られたときは信じた自分を褒めてあげよう。それしか救われる方法はないのかもしれない。

たしかに今日まで忘れていたんだ。私の生活に彼の名前は一文字も出てこなかったし、あの映画を観るまでは思い出しもしなかったと、夜のベランダで1人感傷に浸っていた。

「佳奈ちゃん、そろそろご飯の準備ができるよ」
「蒼さんありがとう。すぐ行くね〜!」

あの日はたしか満月で、彼からの告白をOKして、私たちは晴れて恋人になった。当時は別れるなんて思ってなかったし、ずっとこの人がいいと本気で思っていたのは事実だ。それもこれもぜんぶ過去。私にはもう婚約者がいる。彼とは一生交わることはないけれど、彼との思い出は綺麗なまま残したい。どうやら今日は満月みたいだ。満月が好きだった彼も見ているだろうか。なんて、ちょっと思い出しただけ。

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