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一体愛は誰のためのものか

今日も誰かのために歌われたラブソングが街中に鳴り響いている。一体誰を思った歌なのだろうか。それは実体験談なのだろうか。そんなことばかりが頭に思い浮かぶ。夢も希望もない自分に嫌気が差す。

恋に落ちている人が書くラブソングはリアリティーがある。想像だけで書くラブソングは思いすらも作りもののように思える。偶然、街で耳にするラブソングは、一体どんなシチュエーションで書いたのだろうか。隣に恋人がいるとき、恋人とデートを終えて、終電で家路に向かうとき、はたまた恋人に会えなくて寂しい思いをしているときなどきっとシチュエーションは様々だ。

ただ誰かのために歌われたラブソングが、自分に向けられた歌ではないことだけは紛れもなく事実である。少なくともあなたのために歌われたラブソングではない。それなのに僕たちは、誰かが書いたラブソングに自分を重ねる。いや、ラブソングだけではない。恋愛小説、他人が作った愛に纏わるなにか。それに自分を重ねては、自分の恋路もうまくいけばいい。そう願っているのだ。

ただ恋路はラブソングのようにはうまくいかないものだ。片思いは脈があるとき以外は地獄だし、お付き合いをしたからといって、それが永遠に続くわけでもない。恋が終わるたびに、失恋ソングに恋の傷を委ねては癒しを求める。そうやってたくさんの人が誰かが作った音楽に救われてきた。

誰かのために歌われたラブソングに愛がないというならば、愛は一体どこにあるのだろうか。ラブホテルに愛はないし、性交渉自体にも愛はない。ある人は「0.05mmの合成ゴムは愛の証」と言った。すかさず別の誰かが「0.05mmの合成ゴムに愛はないよ」と言った。つまりそのもの自体に愛はなく、愛の形成には2人の歩み寄りが必要なのだ。それが愛が生まれる証明でもある。

誰かのために歌われたラブソングにも、ちゃんと愛はある。でも、それはあなたにではなく、作った人が愛した人に向けてのものだ。誰かに向けて愛を歌いたいならば、愛を歌った歌詞を作る必要がある。誰かに向けて愛を書きたいのであれば、ノンフィクションの恋愛小説もしくはエッセイを書こう。その全てが無理なら愛を直接本人に伝えるしかない。それが愛を伝える最適な手段だ。

誰かじゃなくて、たった1人を思うこと。世界はそれを愛と呼ぶのかもしれない。もしも明日晴れたなら愛の言葉を伝えよう。でも明日は天気予報によると雨らしい。どうやら雲行きはまだ険しそうだ。

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