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生きてるだけで丸儲け

人は生まれてすぐに、「おぎゃー」と泣き叫ぶ。この世に生まれた事実に対してのガッツポーズみたいなものなのかもしれない。もしくは、「なんでこんな世界に生まれたんだよ、ちくしょー」と泣き叫んでいるのかもしれない。

生まれてすぐに流した涙が、嬉し涙か、それとも悔し涙なのか。それはもう過ぎた出来事なので、一切覚えていないし、この際どちらでも構わない。当たりくじだったと思えば、当たりくじになるし、そう思えなければ、ハズレくじにだってなりえる。どう思うかは本人の自由だ。

仕事がひと段落したため、外に出かけることにした。自転車を転がせ、近所の公園へと足を運ぶ。桜がすっかり散ってしまった公園。小学生たちが遊具で遊ぶ。ボールを蹴っている子どももいれば、ベンチでゲームをしている子どももいる。そして、公園で日向ぼっこをしていると、知らないおじいさんから声を掛けられた。

公園のベンチで1人で腰掛ける若者をものめずらしく思ったのかもしれない。「今日は日差しが暖かくて、日向ぼっこ日和ですね」的な世間話をしていると、おじいさんが人生について話をはじめた。

「若いってのは最強よ。若ければなんでもできる。歳を取ると体がうまく言う事を聞いてくれんでね。でも、こんな歳になってもやりたいことがたくさんあるから、もっと早くに行動しておけばよかったなって。だからお前さんみたいな若い人には、仕事だけじゃなくて、やりたいことにも挑戦してほしいと思ってるんよ」

おじいさんの言葉には重みがあった。それは歳のせいもあるだろう。言葉と空気から言葉の重みを受け取った僕は、おじいさんに「おじいさんの人生は当たりくじだったと思いますか?」と尋ねてみた。

すると、「当たりくじも当たりくじよ。人間ちゅうのは生まれた時点で当たりくじを引いたようなもんなんよ。目の前の幸せに気づく。これが難しくてね。無い物ねだりばかりしてしまうから、目の前の幸せに気づけなくなるっちゅうもんよ」と返ってきた。

たしかに幸せは目の前にあるし、その事実に気づけずに苦しんでいる人がたくさんいるのも事実だ。命の中には生まれたくても、それが願わなかった命もたくさんある。だから生まれた時点で、当たりくじを引いた。きっとそうなんだろう。そして、そいつを盲目的に信じたいじぶんがいる。

「わしはな、好きな人と結婚して、それなりに仕事もうまくいって、年に数回は孫にも会える。これほど当たりくじの人生はないんよ。でも、欲望ってのは厄介でね。望めば望むほどきりがないもんよ」

恋も仕事もうまくいった人生。それでも欲望は尽きない。生きれば生きるほど欲望は増え続ける。だから、人生に満足しきって死ぬ人間なんてほとんどいないんだろう。おじいさんに比べて、じぶんはまだなにもなし得ていない。でも、これからたくさんのものをなし得ていくという確信はあるのだ。

日差しはこれでもかと言わんばかりに僕たちを照らしている。お天道様も僕たちが生きている事実を祝福してくれているのだろうか。ベンチに腰掛けていたおじいさんの腰が上がる。

「人は簡単に死ぬ。それを戦争でこれでもかと言うぐらい思い知った。わしもいつ死ぬかわからんから、目が黒いうちはやりたいことに挑戦したいんよ」

どうやらおじいさんは戦争をしているようだ。あの壮絶な経験を経たからこその強さなのだろうか。言葉により重みを感じているじぶんがいる。おじいさんの瞳は、まっすぐ僕を見つめていた。

なにかを訴えかけたいのだろう。

強くしなやかで、それでいて優しいその瞳は、人生をきちんと生きてきた証でもある。おじいさんがなにを訴えたいのかは、すぐに理解できた。ちゃんと生きて、天命をまっとうする。それが僕たちに課せられた使命であり、役割でもある。

でも、生きていると、嫌な出来事だって起きる。嫌な出来事はぜんぶ雨に流してしまいたいし、起きた事実すらなくしてしまいたいものだ。辛さを噛み締めるのも人生。そんな簡単な事実を、28年経ったいまでも、まだ理解できずにいる。

辛い出来事が起きた日は、じぶんをうんと甘やかす。深夜にポテチを食べたり、ハーゲンダッツを食べたりもする。河川敷に行って、思いの丈を吐露したっていいし、車で山を駆け上り、夜景で心を浄化したっていい。もちろん、「誰かに頼る」も1つの手だ。人は1人では生きていけない。それが事実であり、揺るぎないものでもある。

辛い出来事が起きる事実には抗えない。どう生きても、辛い出来事は起きる。だからこそ、じぶんがご機嫌になる方法をたくさん知っておく。じぶんを守るのは、じぶんの手で守る必要がある。しなやかに伸びる木々のように、たくましく柔軟に生きなければならない。

おじいさんは帰り際に、「強くても弱くてもいいけど、ちゃんと生きなきゃね、じゃあまたどこかで。今日は素敵なお話をありがとう」と言葉を残して去った。その言葉に救われたような気がして、気がつくと、涙が頬を伝っていた。

涙や汗は誰にも流せない。すべてが自身が精一杯生きた事実であり、証なのである。これから先もきっとハズレくじを引いたと思う日がやってくる。人生はオセロみたいなもので、劣勢が続く日だってある。でも、きちんと努力し続ければ、白が黒をひっくり返す日だってやってくるのだ。

人生はきっと当たりくじだ。それが事実かどうかは、人生最後にじぶんの手で決めればいい。生まれてすぐの涙が嬉し涙だと信じているし、最後に流す涙も嬉し涙にしたい。

先の見えない人生に、不安を抱く日もあるだろう。ずっと前を見ていても疲れるし、たまには下を向いたり、後ろを振り返ってみてもいい。でも最後は不安をわくわくに変えて、見えない未来を楽しんでいく努力をしていたい。

またどこかでお会いしたときは「人生は当たりくじですね」なんて言いながら、お酒でも飲み交わしたいね。

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