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孤独なんて恐れなくていい #呑みながら書きました

人生を100点満点だとするならば、いまのところは、せいぜい50点がやまだろう。「毎日が楽しい」を求めているわけでもないが、かといって毎日悲しいのも嫌だ。だから、喜怒哀楽のバランスをうまく取っている人は、本当の意味での大人だと思っている。

人生には死にたいと思う瞬間が、唐突にやってくる。悲しさに包まれたときや、怒りに身を身を任せて後悔してしまったときなんかがいい例だ。こういうときは寝るに限る。寝れば万事解決するし、それ以外のときは泣くか、食べるか誰かと遊ぶかをして、気を紛らわせる。

何かをして解決する死にたいがあれば、何もないときに希死念慮に襲われるときがあって、こいつが厄介なのだ。死にたいみたいな感覚に陥っては、死ねないをずっと繰り返して、苦しみ続ける。何かが起きたときは対処法があるけれど、何も起きていないときの対処法はいまのところ持ち合わせていない。いつになったら乗り越えられるのだろうかとは思いはするものの、これが人生かと開き治っている自分もいる。

こういうときは、綺麗な海や綺麗な人を見る瞬間に生きたいと思ってしまう。簡単に死にたいと思うくせに、簡単に生きたいに変わる。だからこそ心がときめく瞬間をたくさん作っていきたい。ありふれた日常の中にこそドラマがあって、そのトリックに気づいた人から順に、人生の本番は始まっていく。だから、ほとんどの人の人生はまだ幕開けすらされていない状態なのである。

よく人は誰かと比べる。見たくないものは見ないほうがいいのに、見たくなくても勝手に見えてしまう。それは誰かと共に生きている証拠であり、自分が1人ではないという証拠でもある。だから、人と比べないなんて無理だ。できっこない。たしかにその意見は正しいけれど、比較対象に嫉妬するか、悔しさを燃料に変えるかどうかでは、天と地ぐらいの差があるんだと思う。

誰かと比べているうちは、本当の自由と出会ったとは言えない。自由とは誰かの目を気にせず、好き勝手やることだ。でも、自由を手に入れた人は順に嫌われていく。この世界は順応と不自由を愛しているから、それに不従順な人間は嫌われるのだ。自由を手に入れて、また不自由に戻っていく人とそのまま自由を駆け抜ける人の違いは、孤独に打ち勝てるかどうかである。

誰もが孤独を恐れ、孤独にならないように、誰かを気遣い、優しさだとか寄り添うみたいな姿勢を見せる。人は無様だけれど。無様な姿があるから美しさがより際立つものだ。人間とは本来醜い生き物である。誰かを妬んだり、他人を蹴落としたり、誰かに認められたいみたいなくだらない承認欲求からは誰も逃れることはできない。

美しいだけのものは、輝きを失った途端に淘汰される。だから、醜く、弱い人間がその運命から逃れるために、四苦八苦しながらも生きる姿には心を打たれてしまうのだ。綺麗じゃなくていいし、醜くていい。その事実を受け入れてからが、本当の美しさを手に入れるための旅の始まりなのである。

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