28歳なんて、まだ子どもだよ

先日、大学生の女の子が「SNSでしか愚痴や弱音を吐けないじぶんは弱いし、まだまだお子様だなぁ」とつぶやいているのをたまたま目にした。彼女の大人の定義は僕にはわからない。でもどうやらいまだにSNSに愚痴や不安を吐き出している僕は、彼女の定義上ではまだ子どもらしい。

10代の頃は、28歳のじぶんはとても大人で、落ち着きがあって、仕事もてきぱきとこなしているかっこいい大人になっていると思っていた。

でも、実際はSNSでしか弱音を吐けないし、いまだにやりたいことに挑戦して失敗ばかりしている。仕事もうまくいかないことの方が多いし、今日だって早起きに失敗した。その上、結婚はおろか恋人すらいない惨状だ。10代の頃のじぶんが、現状を見たら「なんだ今と変わらないじゃん」と言って、嘲笑するかもしれない。ってか絶対にする。抱腹絶倒は間違いない。

28歳、フリーランス3年目の節目の月に、僕は9月23日から10月2日まで、東京と熱海をひとり旅した。もしかしたら東京に新しい自分がいるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのも事実。そして、世間の喧騒を熱海で癒したかった。でも、東京に新しい発見はなにもなかった。ぜんぶ最初からわかっていた。わかっていたのに、また同じ過ちを繰り返していた。

じぶん探しは、最終的にじぶんと向き合うのがゴールだ。大学生が「海外にじぶん探しに行く」と言えば、僕は「それ意味あんの?」と理由を尋ねている。大半の大学生が海外に行く理由を答えられない。確かに海外は日本とは異なる文化だから、外的刺激をたくさん受けられる。でも、価値観が壊れることを期待し、じぶんの答えが海外にあると思っている大学生も多い。外から刺激をもらったとしても、それは参考材料のひとつにしかならないし、決定的な要素を秘めているわけでもない。じぶんと向き合わなきゃじぶん探しの旅は終わらない。

そんな僕も最近、現状を知りたくて、東京に1週間近くひとり旅をした。でも、東京にじぶんはいなくて、実力不足をただ痛感するだけの旅だった。世間では大人と呼ばれる28歳になっても僕は、大学生と同じような過ちをいまだに繰り返している。

先月も担当医に目を失明するかも宣言をされ、途方にくれた末に、SNSに愚痴や不安を吐き出していた。今思い返せば、クソほどダサい大人だけど、吐き出すことで救われてもいるから、どこにも吐き出せないよりは幾ばくかマシだと思った。

世の中に立派な大人はたくさんいるけど、大人に大きな期待を抱かなくても良い。たいそれた実績を残せなくても、仕事は探せば、いくらでも見つかる。そして、仕事をして、お金を稼いで、飯を食えたらなんとか生きていける。生活のどこに重きを置くかは、人によって自由だけど、生きるだけならなんとかなるし、周りは思ったよりも優しくてを差し伸べてくれるものだ。

生きづらさを抱えるのも、生きやすさを見出せるのもじぶんだけだ。下を見ろとは言わない。かと言って、上を見続けるのも首が疲れてしまう。ひとつだけ言えるのは、生きづらさを自ら抱える生き方は避けてほしいってことだ。

28歳になっても、大人になりきれていない大人がここにいるよ。弱音を吐き出さないのが、大人なら僕は一生子どものままでいい。

偉そうに本当にごめん。

でも、大学生の君には、無理に大人になろうとしなくてもいいこと。大人の定義は大人にもわかっていないってこと。嫌なことが起きた時は、ちゃんと逃げ道を作っておくこと。そして、吐き出すことは子どもではなく、立派な生存戦略ってことを知ってほしいな。

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!