だから、言葉を紡いでいく

人の心は言葉によって救われ、また傷ついてしまう。言葉の刃は人の心にトラウマを植えつけてしまう場合もあるからこそ人を傷つけない文章を書こうと常に心掛けている。

僕が言葉を誰かに届けたいと思ったきっかけは、自身が言葉によって救われてきた経験があるから。自身を救った言葉にすこしでも恩返しがしたくて、自分も文章を紡ごうと考えた。

ある日、SNSの誹謗中傷の件を見て、自身がどんな言葉を届けたいのか。そもそも言葉を届ける必要があるのかについてすこし考えてみた。

人の気持ちを考えずに発する何気ない言葉は見ていられない。日頃のストレスのはけ口として、誰かを乏しめるような言葉は見ていて悲しくなってしまう。だからどうせ言葉を届けるなら、応援や安心感を伝えるようにしたいなって。

僕は恋愛や生きづらいと悩む人に向けて、言葉を紡いでいる。それが功を奏しているかはわからないけど、たまにくる優しいメッセージを見るたびに、自身が紡いだ言葉に意味があったと救われた気分になる。

なにかに悩む人にすこしでも寄り添いたくて、そんな人が前を向けるような言葉を紡いでいきたいなって。でももしかしたら寄り添いすら傲慢かもしれない。

寄り添いを求めていない人に寄り添っても迷惑になるだけ。寄り添いを求めていない人に、なんと言葉を掛けたらいいのか悩むときがある。そういった人は前を向ける言葉はきっと求めていない。なにも言葉を掛けずにただ隣にいた方がその人を救える場合が多い。

SNSは言葉だけのやりとりだから解釈が自由だ。受け手が悪意ある発言だと受け取れば、悪意のある言葉と化すし、前向きな言葉と受け取れば、前向きな言葉と化す。

だからこそSNSで言葉を紡ぐ行為は難しいのかもしれない。対面の方が話しやすいし、自分の思いも伝わりやすい。テキストコミュニケーションは便利だけど、解釈が自由という弊害がある。

相手が放った言葉は良くも悪くも心の中に残ってしまうから紡ぐ言葉に気をつけなくてはならない。自分が紡ぐ言葉が誰かを傷つけてはいないだろうか。

自身を励ます言葉を必要としている人はきっとどこかにいる。

頭の片隅に「決して人を傷つけてはならない」ことをそっと置いて。

優しさと思いやりを常に忘れずに。

僕はこれからも言葉を紡いでいく。



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