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最低で最高な人生

「将来はどうなっていたい?」

自分の将来を何も考えていない大学生だった。そもそも将来をきちんと考えている大学生は少ないような気がする。残された青春をどうやって楽しむか。学校やアルバイト、サークル、遊びなどそれが頭の中を占めるのが大半だろう。

教育学部に通っていたため、エスカレーター式で進めまば、学校の教員になることはできた。何でもかんでも抱え込む性格だったため、教員になったら自身が潰れることは目に見えていた。教育学部に入ったのに、教員ではなく、別の道を選ぶ。周りの友達のほとんどが教員を目指す中で、僕はたった1人、自分の将来に打ちひしがれていた。

自分の将来をいくら考えても答えが出ない。学生時代に真剣に取り組んだのはサッカーぐらいだ。サッカー専修になるために毎日練習をしていたのだけれど、部活でサッカーが嫌いになりそうになったからやめた。サッカーを辞めてからの生活はある程度できていたらいいと何かに本気で打ち込んだ記憶がない。

学校の試験は親に怒られるのが嫌で、それなりの点数は取っていたけれど、覚えているのは授業中に友達とふざけて先生に怒られた記憶ぐらいだ。高校生になってからは、家庭の事情でずっとアルバイトばかりの生活だったため、ほとんど遊んでいない。友達の数は少なくはなかったけれど、それも学校の中での範囲だ。定期的に遊んでいた友達は数を数えられる程度しかいない。周りに迎合するのが苦手だったくせに、嫌われることに心底怯えて、優しい人を演じていた。自分をすり減らして他人に優しくする行為は、自身を傷つけるだけで、そこから得たものは何もなかった。

何もかもが浅くて、それを認めるのが怖い。自分の中に何も残っていなかったら自身を守る尊厳を失う、だから、自身の強みを「無知」だと捉えるようにした。

就職活動の際に、たくさんの企業の面接官から「あなたの強みはなんですか?」と問い詰められた。そこで「無知です。でも、努力次第で何にでもなれると考えています」となんの努力もしてこなかったくせに、偉そうに答えていた。これが想像以上に面接官に受けた。自身が捻り出した答えに、不確定要素しかないにも関わらずだ。ある面接官は「その年齢で自分が無知ってことに気づいているのはなかなかよ」と言われたし、ある企業の面接では5回面接があると聞かされていたのに、2回目の面接で内定をもらえた。

「将来はどうなっていたい?」

就職活動を終えても納得する答えが出てこない。社会人になって、経験を積めば答えが出てくるかもしれないと、自分の都合のように言い聞かせた。ところが、社会人になっても、将来の自分像が見つからない。「将来はどうなっていたい?」という質問に対して、ずっと「無知」という言葉で逃げていた。解釈を変えるとポジティブに聞こえるのかもしれない。でも、無知は無知でその範疇を超えないのだ。

社会人になった。無知な自分は努力次第で何にでもなれる。ある程度ならそつなくこなせる。それは確かに事実だった。社会人になってもそれなりに仕事ができるようになって順調に部下を持てたし、副業ではじめたブログもそれなりにアクセス数を伸ばせた。それでも自分より仕事ができる人は山のように存在する。ときには超えられない壁にも出会って、そこから這いずるように逃げ出した。

「将来はどうなっていたい?」の答えがわからない。現状を打破するために、自己啓発本やビジネス本を読み漁った。自己啓発本に書かれている内容はいつも「すべては自分次第」で、その自分次第がわからないんだよと、苛ついた気持ちで古本屋に売りつけた。本もダメ。ネットもダメ。やっぱりどこにも答えは書いていない。答えが載っている教科書で学んだことはまったく役に立たず、課題だけが山積みになった。

27歳のときにベーチェット病と呼ばれる難病に罹った。難病なんて映画の話だと信じて疑わなかったあの頃の自分が憎い。まさか自分が当事者になるなんて。難病によっていろんなものを失ったけれど、同時に得たものや元からあったものに気付けた経験だった。

幸いにも僕は運がいい。それもとびっきりにだ。難病になったときも、苦しみの渦中にいたときも、たくさんの人が助けてくれた。僕が悪運の持ち主だったら助けはおろか見なかったことにされていただろう。

与えられるものこそ 与えられたもの

「藤井風」の『帰ろう』に出てくる歌詞だ。この歌詞を優しさで解釈すると、優しさを与えられるのは、それまでにたくさんの優しさを与えてきたからである。ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」の逆バージョンのようなものだ。たくさんの人に支えられてきた事実はきっと自身がたくさんの人を支えてきたからだ。そんな自分を誇りに思いたいし、それまでの自身の生き方は間違っていなかったと証明できた。だから、自分の将来を答えられないことも肯定しようと思った。

「将来はどうなっていたい?」

その答えは「知らねぇよ」である。目まぐるしく変わり続ける現代で、1年後はおろか将来なんてわかるわけがない。誰かに笑われようが、一生迷子でいいと思っている。その日暮らしでやりたいことをやり尽くす。地盤は固めながらという条件付きで。

生きる。それは楽しいだけではなく、辛いことも起きるものだ。それらすべてをきちんと味わい尽くしていれば、人生に深みが増すに違いない。何事からも逃げずに、生きていれば、きっと活路は自分からのこのことやってくる。「人生は長い暇つぶし」だとどこかで聞いた。それがもしも事実であるならば、暇つぶしをとことんまでに楽しむ。それが僕の生き様になるはずだ。

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