シェア
渋谷 遼典
2019年12月18日 00:45
テレビシリーズからここまで観て、やっと1995年から1997年の庵野秀明がエヴァンゲリオンシリーズで何をしようとしていたのかが見えてくる。 テレビシリーズではほとんどただの符丁でしかなかった“人類補完計画”は、ATフィールド=心の壁によって中途半端な個体であるしかなく、孤独を抱え込むしかない現生人類を、単体の生命、ハイブマインド、肉体的にも精神的にも輪郭を喪い、溶け合った集合的な生命に還元
2019年12月18日 21:25
・当たり前の前提。小説を映画にすることはできない。日本語で書かれた俳句をフランス語にすることが、英語で書かれたソネットを日本語にすることがほんとうにはできないように。それらはあまりにも違う。意味だけでなく形を伴う作品には、翻訳の不可能性と、それぞれの媒体に固有な特質というものがある。小説はあくまで小説であり、映画はあくまで映画である。 その上で、この作品は、原作の日本の村上春樹の短篇小説から受け