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「考える」とは何か。

こんにちは。Oguraです。
2021年初記事!
遅くなりましたが
あけましておめでとうございます🌅
今年もよろしくお願いします。

簡単な新年の抱負を。
2021年は「やり遂げる一年」にします。
今計画しているビジネスを軌道にのせ必ず成功させ、アスリートとして専門の100mで自己ベストを更新し、全国の決勝に残ります。来年は日本代表を狙える位置まで一気に駆け上がります。

本noteでは、自分の頭の中の整理、アウトプットを含めた内容をできるだけ頻度を高めて更新していきたいなと思っています。教育の目線での記事が多くなるかな〜。よろしくお願いしますっ!

さて今回は。
ビジネス仲間とよく話す内容の「考える」とは何か。
についての見解を書いていきたいなと。

「考える」とは。

皆さんにとって、「考える」とはなんですか?


例えば、スポーツ教育の現場でも「考えて動け」とか「頭を使って練習しろ」とか言われますよね。でもそもそも。

「考える」ってなんでしょうか?


うーん。
考えるって何か?って聞かれても、中々答えが思いつかない。
難しいですよね。少し、哲学チックな話だし。

それもそのはず。
この答えは、学校では教えてくれるものではないので。

むしろ
先生として教育の立場に立っている人の中でも理解している人はおそらく少なく、教えることができていないと言うパターンが多いのかもしれません。

もし。

「考えるとは何か。」
を説明してくれる先生がいたら、本当に素晴らしい学級になることは間違いないだろうなって僕は思います。その先生の元で育った生徒の多くは、社会に変革を与えるビックな人間に成長するだろうななんて。そこまで思います。学生時代から、考えることを構造的に理解できていれば、モノの考え方、捉え方がガラリと変わってくる。

教育とはそういうもの。
「誰に。何を。どのように。学ぶか」によって
その子の人生は多く変わってくる。と僕は"考えています"。

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建設的に考えを組み立てる。

「イシューからはじめよ」という本をご存知ですか?
筆者である安宅和人さんは富山県出身で東大卒、現SFC環境情報学部教授兼、株式会社ヤフーcsoの肩書きも持つ、スペシャルなお方です。(僕も富山県出身でSFC卒なので、なんとなく親近感が沸いております。笑)

この本の冒頭では
安宅さんは「考える」についての持論を提唱されていました。

それが
「悩む」と「考える」は"違う"ということ。

安宅さんは問います。
「悩む」と「考える」の違いはなんだろうか?と。

安宅さんはいいます。
「悩む」とは
「答えが出ない」という前提のもとに考える"フリ"をすること

「考える」とは
「答えが出る」と言う前提の元に"建設的に"考えを"組み立てる"こと

この2つは似た顔をしているが、実は全く違うものだと。

深すぎる。
僕はこの言葉を読んだ時に、ロンギヌスの槍で刺されたかのような感覚になったことを覚えています。グサッと心に突きつけられました。

僕は今まで、本当の意味で"考える"ことができていなかったのではないか?と。思いました。もしかすると、考えている”フリ”をしていただけなのでは...

速く走りたい!!という思いから
「どうやったら速くなれるのか」について、自分の中で必死に"考えてた"つもりでした。

しかし、それは、果たして。
"正しく"考えられることができていたのか?
考える"フリ"をしているだけになっていたのではないか?

"建設的"に考えを組み立てることができていたか?
建設的とはつまり、現状の良い点を認め、さらに良くしていこうとすること。さらに良くするための改善点を「構造的に」組み立てて考えることができていたか。


毎日毎日。たくさん練習しているはずなのに。
結果が出ない。こんなおかしいことがあるか?

アスリートの悩みのあるあるの1つだ。

毎日、ぶっ倒れるほどに練習しているはずなのに
さっさと帰るあいつよりも結果が出ない?
そんな不平等なことはあるか?

才能のせい・・・?

今まで何百回いや、何千回思ったことか。

いや。違うんだ。
結果が出るか出ないかは。
「考える」という過程の"質"が違うんだ。

スポーツはギャンブルじゃない。
自分が成長するための「考え」の質を高めることで必ず、結果は出るはずなんだ。もしも、結果が出ないなら、考えきれていないだけ。

「努力」が足りないのではなく
「考える」ことが足りていないんだ。


真の努力

必死に練習すること自体に満足してしまってはいないだろうか?たくさんの距離を走って、乳酸に足が悲鳴をあげていることに満足しているだけではないか?毎日腹筋1000回をこなして、腹筋が強くなった感覚に満足しているだけになっていないか?自分が速かった時の動画ばかりを見て、満足していなかったか?

自分の速くなるための努力は
「遠回りの道」だった可能性がある。

安宅さんはその努力を「犬の道」と表現している。

真の努力とは?

それは。
真の「考える」の先にあるのだとこの時に気づいたのだ。。。

そうだ。
僕は「答え」を持っていなかった。

まずは、「答え」を見つけよう。


Let's Graduate from the 「DOG ROAD」.

最後まで読んでいただきありがとうございました♪