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推測のすゝめ

私は考えることが好きだ。考えるというよりかは推測に近いものだが。

「推測」というのは「ある事柄を基にして推量すること」というものだが、「これをこうしたらこうなるのではないか」「このような事例があるからこれをこうなるのではないか」と様々な考えを巡らせる。

調べればすぐわかるようなことも一度推測してみる。そして答え合わせ。私の場合その推測は外れていることが多いですがね笑
当たっていれば少し自信を持てる。考える力がついてきたのではないかと。

この情報社会において考えるという時間が少なくなってきたように思える。私が勝手に呼んでいるが、「歩く百科事典」のスマートフォンによりなんでも調べられる時代になってきた。しかし、こんな時代こそ考える時間を自分に与えるべきだと思う。

もちろん、お店の営業時間や地図などはスマートフォンを使った方がいい。考えるだけ時間の無駄だと思う。「学ぶ」時に考える時間を確保してほしいのだ。答えだけを調べているだけだと、あまり記憶には残らない印象を受ける。それは答えを得ることができるのが簡単になってしまったからだ。簡単に得られたものは何故か忘れやすい。関心が強い事柄であれば、それなりに覚えているだろが、興味がないものに関してはすぐに忘却されてしまうと思う。

まず答えを見る前に推量してみる。それが当たっているか、外れているかはどうでもいい。そのプロセスが重要なのである。不思議なことに推量を行った後に答えを検索すると、記憶に残りやすいと思う。もちろん人間天才ではない限り1回では覚えられないので、何度も復習する必要がある。しかし、ただ答えを見つけて満足するよりかはよほど効果的なものだと思う。

しかし、その行為は時間がかかる。もっと短時間のうちに記憶できればいいのだが、記憶するというのは大変労力がいる。脳に負荷を与える、すなわち脳の筋トレをしないと記憶に残らないように思える。もっと短時間で覚えられる方法は無いのだろうか。

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