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子どもの前で仕事の話をするか、しないか、気にしないか。

わたしは実のところ、結構口が悪い。

態度も悪い。寝付きも悪い。ちなみに顔も悪い。

のっけから自虐の2年目です。でも、ほんとに悪い。
しかも言ってることがそれほど鋭いわけでもない。鋭ければたまには周りの役に立つこともあるかも…とかってよく思う。

まあ、そんなことはどうでもいいっちゃいいのだけれど、そんなこんなで、子どもの将来が時折不安になることがある。
だって「背中を見て育つ」とかっていうじゃないか。

困ったものだ。

例えば車を運転中の話。

田舎の人々の交通マナーがあまりにもひどいとその場で「ちょっとまってよぉ~。(アンガールズ田中風)」と声に出る。キープレフトが様になりすぎてわたしが運転する車にぶつかりそうになった後に慌てて加速して去る車を見ると「○ン○タ○ル○上か!」と脳内で思ったりする。(我ながら、たちが悪い)


目下一番悩んでいるのは、「子どもの前で仕事の話をするか、しないか」という点である。

これが結構な悩みどころだ。

仕事の話をしていると、もちろん明るい話やためになる話も多少はしていると思うのだけれど、それ以上に不平不満が多くなる。わたしは聖人君子ではない。

「ちょっと、子育てでつかれてる奥さんの前でなに不満ばかり言ってんの!」と怒られそうな気もする。だが、妻とわたしはもともと職場の同僚であり、上司や職場環境の不平不満を垂れ流しながら夜な夜なラーメンを啜っているうちに仲良くなって結婚したクチなので、普段の会話に自然と文句が並ぶ。

非常に困ったものだ。

わたしがこの件で思い悩むのは、自分の父親のスタンスが関係しているように思う。

父は、自分の仕事の話を小さい頃から一切わたしにしなかったのだ。一切。飲み会で楽しかったこととか、仕事がうまくいったことなどのポジティブな話すらしなかった。

曰く「イチローは野球にまつわるあれこれをロッカーを片付けながら頭の中で整理して帰って、家では一切話さないらしいよ。(だからオレもしないんだよ)」とのことだが、ぶっちゃけ高尚過ぎる。

高尚すぎるし、全く話さないのはマイナスの効果もあるよな、感じている。

子どもにとって、学校を出たあとの将来のイメージ図を手に入れるための一番身近な存在は親だと思うからだ。

もちろんそれが近所の尊敬するおじいちゃんだったり、街の職人さんだったりする人もいるとは思う。けれども如何せん他人である。ちょっと込み入ったところは話せなかったりする。

そしてその「込み入ったところ」こそが、幼少期から何となく知っておくとプラスになったり、危機回避につながったりする情報のような気がする。

人間関係の実に面倒で目を背けたくなるところとか。
どういう風に信用やお金が回って、自分や周りのみんなの生活が続いているのかとか。

そういうことにつながる情報が、日常の何気ない会話からポロッとこぼれることがあると思う。

そう、だからとっても迷ってしまうのである。

仕事について子どもの前で、話そうか、話さないようにしようか…。うーん。

あるいは、あんまりどうするか決めずに何となく過ごしていこうか。もしかしたら、父親のことがあってわたしが気にし過ぎなのかもしれない。

少し考えてみると、これが案外いい加減な答えでもないんじゃなかろうか、という気がしてくる。

あんまり気にせずに、自分の思ったままに行動して。
何をどう思うかは子どもに任せる。
っていうかそもそも、「〇〇をして子どもをどうしようか…。」っていう考え方自体、ちょっと支配的で怖いだろうか。

うーん。

まだまだ答えは出ないから、息子と並んで麦茶でも飲んで考えようと思う。最近はコップの中の麦茶に指を浸して、その指を吸って麦茶を飲むのが好きらしいです。わたしも日本酒に浸してみましょうか。

(脂が浮いたらどうしよう。最近またラーメン食いすぎてる感じあるしな。どうしよう。ブヒ。)

さ、こんな感じで2年目が始まります。

今日からまた、宜しくおねがいします。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。