イチローほど結果を軽視する人間はいない。
最近心を動かされることがあったので、番外編。
鈴木一郎、イチローという人間について。
45歳の野球選手、イチローが引退した。
4000本以上のヒットを積み重ねてきたなんて、そんなありふれた説明はしたくない。
今回の引退に関する一連の報道の中でイチローの哲学が際立ったと感じる2つのエピソードについて書いてみる。
①4367本のヒットも、「数字自体に意味はない」
②国民栄誉賞、辞退
①イチローが2500本のヒットを打った時も同じ事を言っていて驚いた。
イチロー 「アロマーが2500を打った時(2002年)に『とんでもない数字だな』と思った記憶がある。そこまで来たことに、感慨深いものがある。最近思うのは、今まで打ってきた2400何本のヒットが、今日の試合では何の役にも立たない世界にいるということ。気持ちいいのは一瞬しかないということ」
イチローは常に今しか生きていない。
結果が出ない事にはめちゃめちゃシビアな彼なのに、結果が出てみれば反応はめちゃめちゃ薄い。
元々メディア嫌い(常に皮肉っぽい)は感じるにしても、多分本心から
「数字は数字でしかない」と思ってるんだと思う。
その数字を評価するのは、あくまで自分以外の誰かである。
自分が出来るのは、明日もパフォーマンスを維持するために調整し、探求し、そして結果として数字で出す。それだけだ。
この哲学、かなり行くとこまで行っていると思う。
イチローに調子の良い時はない。
一般的な感覚だと、自分が努力して得た結果はある程度アピールしたくなる。特にこんだけSNSが身近な最近、ちょっと嬉しい事があれば「みんな見て!!!」ってなる。これ、いたって普通の感覚。
イチローは調子が良い時も悪い時も、「出来る事をしただけです」「出来る事をするだけです」という姿勢を崩さない。
一区切りつけて、心機一転頑張ります!的な発言も聞いたことがない。
うわつかない。うなだれない。常に今出来る最高のポイントだけに照準を絞る。
だから、結果は過去の数字でしかしかない。過去の自分を表す1つの指標なだけで今の自分の出来る事とは違う。
どんだけ自分に厳しければこんなことになるのか、到底理解が及ばない。
積み上げて来たモノでしかその人は定量的には測れないけれど、それを自分から積極的に話したり過去に固執することは、明日の自分を創ることの一助にもならない。
「今、何が出来るのか」
「明日、何が出来るようになっているのか」
を考えたいし、
「過去に何をしたか」でなくて「明日何がしたいか」
を話せる人になりたいと思わせてくれた。
イチローは常に明日をベストで迎えようとしているのだと思う。
「調子が良い」なんて言葉は口が避けても言えない。
②国民栄誉賞の辞退は今回で3回目だ。
そもそもこの賞自体、イマイチ胡散臭い気もするんだけど。
「栄誉」を改めて与える、みたいな、一方的で自分勝手な、内閣の人気取りに使うみたいな賞じゃねーのとも思う。
形では「本当に栄誉なこと」と前置きしているものの、3度辞退するというのは、うん、凄く気持良かったです。ありがとう。
まず「断れる」ということ自体が凄い。
歴代の受賞者達を考えれば、辞退という選択をするにもかなり勇気がいる。これまで国民を代表して受賞して来た人達の軽視、みたいなことになり得る可能性がある。(と個人的には思う)
そして圧倒的な成果を残して来たにも関わらずの「人生の幕を下ろした時に頂けるように励みます」というコメント。
やっぱりイチローが見ているのは、数字や、昨日までの結果じゃない。
「今、そして明日、自分は何が出来るか」
なんだ。
ー以下、引退時インタビュー内容ー
「記者」思い残すことは?
「イチロー」今日のあの、球場での出来事…あんなもの見せられたら…後悔などあろうはずがありません。
もちろんもっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、人よりも頑張ったということは全く言えないけど、自分なりに頑張ってきたということははっきりと言えるので。
これを重ねてきて…まぁ、重ねることでしか後悔を生まない、ということはできないのではないかと思います。
「記者」選手生活で一番印象に残っていることは?
「イチロー」色々な記録に立ち向かってきたんですけど…そういうものは大したことではないというか。
自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくということはしなくてはいけないことだと思いますが、そのことにあまり意味はないというか。そんな風に体験すると小さく見えてくる。その点で10年続けてきたMVPをとったとかオールスターとったとかは本当に小さいことに過ぎないと思います。
今日のあの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降ゲームに出られない状態になって、それを最後まで成し遂げられなければ今日のこの日はなかったと思うんですよね。
去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない、というささやかな誇りを生んだ日々。
どの記録も自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。
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やっぱりイチローにとって、数字は重要じゃなかった。
その瞬間にどれだけの人が、どれだけの熱量で、あの異様な雰囲気を創り出したか。東京ドームでの引退戦は、間違いなくイチローの「積み上げて来たモノ」が、数字じゃない何かで表された瞬間だったと思う。
イチローが「本心」ではどう思っているのかは分からない。
しかし1つの事実として、「世界で最も安打を打った人間」であり、
それを達成するだけの、目には見えない圧倒的な行動をしていた。
あんまり知ったような口で言うと怒られそうなので、この辺で辞めておきます。(まだまだ書きたい事あるけれど)
それでも
結果を誰よりも重視してきたのも、軽視してきたのも、イチローだ。
こんなに格好良く生きれなくてもいいから、「今までした事」は口にしないようにしたい。
イチローはやっぱり天才だったねなんて、今では誰も思っていないことを
小さく願う。
終わり。
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