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本屋大賞全部読む!『百貨の魔法』村山 早紀

時代の波に抗しきれず、「閉店が近いのでは?」と噂が飛び交う星野百貨店。エレベーターガール、新人コンシェルジュ、宝飾品売り場のフロアマネージャー、テナントのスタッフ、創業者の一族らが、それぞれの立場で街の人びとに愛されてきたデパートを守ろうと、今日も売り場に立ちつづける――。百貨店で働く人たちと館内に住むと噂される「白い猫」が織りなす、魔法のような物語!

とても現実的な不景気という時代の波と、すこし不思議な百貨店での出来事のお話。
現実的すぎず、ファンタジーすぎず、ふと自分自身の地元や、そこにある百貨店を思い出す。星野百貨店は、もしかしたら日本のどこにでもあるのかもしれない。

百貨店というものは、ひとの人生に寄り添い、必要な品々を用意できる場所だ。婚約、結婚、子どもたちの誕生。七五三。入学式に出席するための一家の服。卒業式。成人式。育ってゆく子どもたちの代わりのように、老いていった両親との別れ。葬儀。法事。

この一節を読んだとき、あぁこれはまさに!と地元の百貨店を思い出した。
数年前、いや、十年以上も前から「そろそそ危ない」と言われながらも営業を続けるその百貨店。
どれだけ通ったかわからないその百貨店も、もしかしたら星野百貨店なのかもしれない。

小さい頃は、週末になると必ずと言っていいほどその百貨店に行った。
ほしいおもちゃを買ってもらい、洋服を選んでもらい、ごはんを食べて、地下で食品を買う。
今でも覚えているけど、わたしは地下のお漬物売り場が大好きだった。
絶対にたくあんを試食して購入していた。
どうしてあの頃あんなにたくあんが大好きだったのかは忘れたけど。
もちろん、七五三の着物は宝飾フロアにある呉服店で買った。
(たぶんこれまでの人生で1番高い。ありがとうおじいちゃん、おばあちゃん)
ランドセルも買ってもらった。入学式の服も卒業式の服も、何年間か着たお気に入りのコートも買ってもらった。
いつの間にかなくなって、今では立ち入り禁止になっている屋上のゲームコーナーというか小さな遊園地というか、そこも大好きだった。


でも、高校生くらいになると足が少し遠のいた。たった3年間だけど、その時間が唯一、わたしとその百貨店のお別れの時間だったように思う。
百貨店で売っている商品は、高校生のおこづかいで買うには高すぎたし、良くも悪くも落ち着いた雰囲気が、箸が転がってもおかしいケラケラ笑ってばかりの女子高校生にはそぐわなかった。
でもよく考えたら、毎日着てた制服は百貨店で買ったな。


大学生になって、わたしはその百貨店でアルバイトを始めた。
百貨店の中のテナントだったけど、こんなに楽しくてお金もらえるなんて最高~~!と思うくらいに楽しいバイトだった。
パイナップルがカットできるようになって、りんごの皮もきれいにむけるようになった。それまで食べたことなかった高級なフルーツをたんさん食べた。

働いてわかったけど、店員さんは意外とたくさんのお客様のことをしっかり覚えているし、リピーターや常連と呼ばれるようなお客様は、想像していたよりたくさんいた。
当時のわたしには百貨店で働いていることの誇りみたいなものは正直全くなかったし、なんなら社員のおばさんたちの休憩室の場所取りとかにうんざりしてたくらいだけど、バイト先のテナントは大好きで、このお店に迷惑をかけないように働こうとは思ってた。
星野百貨店の物語に出てくる人たちは、この当時のわたしのバイト先への愛着みたいな気持ちの、もっともっと強いバージョンみたいなのを星野百貨店に感じてたんじゃないかな。
ちなみに、アルバイトをしていた百貨店の店員さんたちは、上司の愚痴は言っても絶対にお客様の悪いことは言わなかった。これは当時もすごいことだと思ったけど、働くようになってなおさら感じた。
あのおばちゃんたちもちゃんとみんなプロだったんだな。すごい。


社会人になり、わたしはまた地元の百貨店のお客さんになった。
新社会人の頃は、自由に使えるお金がぐっと増えたから、まずはお化粧品を百貨店で買うようになった。いわゆるデパコスとしては価格帯は低めだったけど、学生が買い続けるのは少しきついかなくらいの。
洋服は微妙なラインだっかかな。わたしよりもっとお姉さん向けの店舗が多いと思っていた気がする。
今は年齢はきっとぴったりだけど、そんなに素敵な洋服を着て出かける場所も機会も、悲しいかなあまりない。

それでも、今のわたしは周りと比べると百貨店大好き人間だと思う。
ほしいものがなんでも買えるほどの収入はないし、使ってる化粧品は新社会人の頃よりこだわりが減ってしまったし、安いものを使うこともあるけど。
それよりもっと日常で、百貨店が大好きになった。

まず、食べ物!!!!

お惣菜、おいしい。
お菓子、おいしい。
そして期間限定でやってくる各地方の物産展。
日常の中のちょっとしたご褒美。

ボディメイクに熱中してるこの何年か、「質より量」みたいなのを避けるようになった。
あたりまえだけど、摂取するものが身体を作る。
食べないという選択肢は最初からないけど、なんでもたくさん食べるわけじゃないから、食べるものは厳選したい。
少ししか食べないならいいものを食べたい。
あ、百貨店行こ。って自然な流れだった気がする。わたしの中では。

まぁなんか御託並べたけど、おいしいもの食べて筋トレしたらハッピーだなっていうこと。笑

次に、これは最近気づいたけど、サービスも大切。
これはもちろん、お客様は神様だからサービスしてよという意味じゃない。
謹んでサービスを受けさせてくださいくらいの気持ち。
ホスピタリティ?なんて言うのかな、、難しいな。
誰かに寄り添われることの嬉しさ?かな?
たぶん食品最高!とかより、こっちのほうが百貨店の本質というか本旨ではないかと思うけど、この記事の冒頭でも引用したけど、以下。

百貨店というものは、ひとの人生に寄り添い、必要な品々を用意できる場所だ。婚約、結婚、子どもたちの誕生。七五三。入学式に出席するための一家の服。卒業式。成人式。育ってゆく子どもたちの代わりのように、老いていった両親との別れ。葬儀。法事。

地元の百貨店は本当にわたしの人生に寄り添ってくれてる。
結婚はまだだけど、七五三、入学式、卒業式、葬儀、法事。
外商の担当のあの人が、ということではないけど、そのときその売り場にいた人がそっと寄り添ってくれていたなと思う。
わたしが親の立場になっても、ここぞというときの服とかは地元の百貨店で用意したいと思ってる。

星野百貨店の不思議な猫に出会えるなら、百貨店がなくならないでほしいというより、少し内装が変わっても、テナントが入れ替わっても、思い出そのものとなったこの百貨店が消えてしまいませんように、って祈るかな。

「いいかい、結子。品物は大切に選ばれ買われ、贈られることで、いつか誰かの思い出になるんだ。物のかたちをした記憶になる。いつかその品物を買い、贈った誰かがいなくなってしまっても、物は長く、宇宙に残る。想いの結晶のように。」

贈ってくれた人に会うことがもう叶わなくなった。
贈ってもらったたくさんの物は、もちろんずっと大切にする。それと同じように、たしかに楽しく幸せだった思い出として、ずっとあの場所があってほしいなと思う。

今日も帰りに寄り道して、ちょっといいお豆腐を買おう。

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