⑫肉体との和解に至り、身体性を取り戻すまで:小学生編


物心ついた時から、運動自体は好きだった。
近所のお兄さんたちや友達と近くの公園でよく野球をしていて、とても楽しかったことを今でも覚えている。
その時はきっとそれなりに肉体は動いていたように思う。


そして、兄の影響で、小学2年生の時にサッカーを始めた。
最初は伸び伸びやっていたのだけれど、少しずつ緊張しやすく、気遅れするようになっていったように思う。特に高学年の時のコーチは非常に厳しい人で、よく怒られたし、自分がこのチームを引っ張っていかなければならないという義務感(責任感だと思っていたけど、今思うと、義務感の方が正しい気がする。この感情がのちにもずっと続いていく。)を常に抱いてサッカーをしていた。
なので、自分の弱い部分というか内面的な脆さには、この当時から気づいており、それを覆い隠すように、「やらなければならない。こんな自分ではだめだ」ということを思って、基本的に強がっていた。
勉強に関しても、こんな感じで常に良い点を取れるように頑張っていた。

一方で、完全に井の中の蛙野郎だったので、チーム内では偉そうに立ち振る舞い、試合中にキレたりしていたが、ぽっと選抜チームに入れられると、周りに上手い選手しかいなかったので、完全に気負けして、ものすごい大人しい奴になっていた。
選抜の練習会や試合もあんまり好きではなかった。そのくせして、周りにおだてられたり、サッカーが上手いといわれることに良い気になったり、チームに戻ると周りに当たり散らして、ブイブイいわせるようなどうしようもない奴だった。


ここで、当時の身体性を振り返る。
”健全な精神は、健全な肉体に宿る”
は肉体ファーストの考えを説いていると思うので、まずは肉体について考えてみる。

肉体的には、この時から非常に硬かった。
体育の授業の柔軟運動や体操といった種目も、人並みにできていたとは思うが、苦手だった。
家族全員肉体が硬かったので、遺伝的なものだと思って、柔らかくするのは無理だと思っていた。別に柔らかくなくても、サッカーに支障ないやろう程度に考えていたと思う。
ケガもちょいちょいしていたと思うが、大きなケガはなかった。

精神的には、少し不安定な方だったと思う。
喜怒哀楽が激しく、特に怒と哀が多かった。
基本的に心の中では気が弱いくせに、相手に倒されたり、味方のプレーに納得いかなかったり、自分の思うようにプレーができなかった時に、すぐに切れてしまい、ふてくされてしまう癖があった。外面だけは、闘っている風だった。試合に負けると哀しかったし、コーチに怒られた時の夜は落ち込んで、ベッドでふさぎ込んでいたこともあった。
喜と楽に関しても、自分が常に基準だったので、自分のプレーが上手くいけば嬉しくもあり、楽しくもあった。試合に勝つというよりは、自分のプレーが上手くいったどうかがすべてだった。
まあでも、小学生なんか自分のことしか考えていないか。


人生で初めてイエローカードをもらった時のことは、今でも強く覚えている。
たしか小学5年生だったと思うが、試合中に相手に倒されて、その瞬間にぷちっと切れてしまい、相手に向かって蹴りをいれた。そんなにたいそうなものではなかったのだが、報復行為ということでイエローカードをもらった。

その時は、めったにサッカーのことに口を出さない父親にめっちゃ怒られたのを覚えている。たぶん、それが印象に残っているせいで、今でも当時のことを思い出すことができるのだと思う。

めちゃくちゃダサい行為だし、本当に情けないことだと思う。
とはいえ、まだまだ小学生で子どもだったという情状酌量の余地は与えられるかなとも思う。
それ以上に、ダサいのは、そこから何も学ばなかったこと。
第一に、サッカーにおいて報復行為は決してやってはいけないことだし、罰に値する。実際にイエローカードをもらっている。
さらに、サッカーの場だけではなく、世の中に存在する人間としても報復行為や復讐はしてはいけないことだ。それを当時の叱ってくれた父親は伝えたかったのではないかと思う。
でもその時は、むしろかっこいいことしてやったぜ、みたいなことを思っていた。

なぜかいつもその思い出とともに蘇るのが、1998年フランスワールドカップの予選ラウンド、イングランドVSアルゼンチンの試合である。
この試合で、当時スター選手で憧れだったデイビッド・ベッカムが相手に報復行為を行い、イエローカード二枚目で退場していた。
そのシーンが今でもフラッシュバックするのだが、あの時の僕がした報復行為もベッカムのものと同じような格好だった。
良くないこととはいえ、憧れの選手と同じことしたわ、みたいにわけのわからない優越感みたいなのがあったのだと思う。ただのあほだな。

https://www.youtube.com/watch?v=r7LuNHtRwhY

(次の2002年日韓ワールドカップで、同じアルゼンチン相手にベッカムがPKを決めた時は、まじで痺れた)



小学生の頃は、あんまり深く身体のことを考えてはいなかったのは確かだが、身体に関する事で覚えているがある。


ただ、理由は本当にしょうもないのだが、

スパイクのポイントがいつも内側だけ極端にすり減っていたので、それが嫌だった

ということだった。

それで、ひたすら外側に体重をかけて歩くようになった。
実際に、内側のすり減り具合はマシになったのだが、逆に外側のポイントが極端にすり減るようになった。
でも当時の自分はそれはそれでOKだったようで、その後は基本的に外側に体重をかけて歩くというスタイルで肉体は適応していった。
大人になって、どえらいツケが回ってきたけど。

他にも、選抜でめちゃくちゃ上手い選手がいて、そいつが極端な内まただったので、自分も真似して内またで歩くようなこともあった。


身体をうまく使えるようになりたい
とか
もっと疲れずに走れるようになりたい
という自分自身の成長のためではなく、コンプレックスから発したものだった。


そう思うと、小学生の頃から、自分の行動のほとんどすべては、好奇心よりもコンプレックスから出てきていた。

だから他人と自分を比べる、他人からの評価を気にする、無理する、劣等感を抱くことなど、いわゆる現代のメンヘラ病が、当たり前のように蓄積されていき、その思考がこびりついていった。

サッカーに限らず、どんなことでも上手く見せようと自分を奮い立たせており、よく緊張していた。
どんどん抜け出せずに肉体が硬直していって慢性化し、結局大人になってからどうしようもなくなったのだが。

やっぱり子どもの頃にすでに、肉体の硬さに起因する精神の硬さ・不安定さもある程度現れていたように思う。

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