自分の思考を言語化しないと、想いは生まれない
noteを毎日連続で更新すると意気込んで、はや5日目。
昨日までそれはそれは時間がかかったけれど、順調に記事を書くことができた。
「noteめちゃ楽しいじゃん、ヤッフー!」
ってなってた。
ただ今日は朝から色々と、書いては消し、書いては消しの繰り返し。
で、結局何を言いたいのかも分からず何度もボツにして今に至る。
なんかいいコツはないか。いいコツなんて考えても思いつかないけど。
でもこの4日間、なぜ連続して書けたかを考えた。
それはしっかりと事前に思考を言語化して、人生の深掘りしていたからだった。
俺って「なんで写真撮ってんだっけ?」「何撮ってんだっけ?」などの問いを自分に問いまくった。
そしたら4日間書けた。
それを考えさせるきっかけは、あるイベント。
1/20に参加予定の株式会社アイガモ主催「糸島フォトグラフィック勉強会」。
自分も写真を撮る身として、いとゆる西川さんのお話をワクワク伺おうと思ったのだけど、
はて?俺が思う「写真」ってなんだろう
とふと思い、背筋が凍った。
もし何か聞かれたり話したときに、ちゃんと答えられない自分に自信があった。頭の中がふわふわしていた。
自分における「写真」というのを明確にして参加したいと思った。「写真」というお題を自分に突きつけた。
「写真」というお題があったからこそ、そのことについて自分と向き合って考えることができ、人生観の奥深いところまで深掘りすることができた。
そして、想いが生まれ、本当の自分を知ることが出来た。
自分の思考を言語化することは、さらに思考を深めて、知らない自分に気づくことができる。このことに気づけたことが、僕にとって大きな気づき。
まずは"ふわふわ"したことを「言語化」してからnote書くよ。
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