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#短編小説

〈掌編小説〉 『鯨』

〈掌編小説〉 『鯨』

「僕、実は鯨なんです」
 最近よく顔を見るようになった男はそう言った。私が働いている定食屋でいつも唐揚げ定食を食べている。27歳の私と歳の近そうな男だ。
「わざわざ大海原から遥々いつもありがとうございます」
「いえ、海と比べたら陸なんて大した広さではないので」
「それでも泳ぐよりは遠いでしょう」
「この2本足というのが面倒で」
「いつもはヒレですもんね」
「そうではなくて、4本あるんだったら4本使

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短編小説 いつかの暗闇

「冷めてもおいしいコーヒーってあるけど、やっぱりあったかいほうがおいしいからさ」
 彼と別れたのは銀杏並木がまだ青々とした秋の入り口で、強い日差しを掻き分けて向かった午後の喫茶店が満席で入れなかった私たちは銀杏の木の下の陰に隠れながら別れ話をした。

「出会ったばかりの頃だったら一緒に着いていってもよかったなぁ。でもいまは違うなぁ」
 2年付き合った彼は私が他県へ職場が異動になると言ったとき、そう

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〈短編小説〉 煌めく線香花火・第1話

〈短編小説〉 煌めく線香花火・第1話

「ねえ知ってる? 線香花火が落っこちる前に既読がついたら両想いなんだって」

 友達の三笠春子は線香花火に火をつけてそう言った。暗闇の中で線香花火の火花が弾ける。春子の線香花火の火はすぐに庭の地面に落ちた。

 今日から夏休みが始まった私たちは春子の家の庭で花火をしていた。来年は大学受験を控えているから今年の夏休みはめいっぱい楽しむんだと意気込んでいた。

「なんでもいいからLINE送って、それで

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あれからの話だけど / SISの卒制・短編小説

あれからの話だけど / SISの卒制・短編小説

「これ以上物語を増やせば誰にも追い越せなくなるよ」
 いま思えばあれは彼なりの告白の言葉だったと思う。彼がそう言った時、私はその言葉の意味が分からなくて途方に暮れてしまった。どんな言葉を待っていたんだろう。彼は私の目を見ている。私も彼の目を見る。
「あの……。ごめんなさい」
 私は返す言葉が見つけられなくて彼に謝った。いま思えばそれはその時私が一番言ってはいけない言葉だったかも知れない。

 大学

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