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日記まとめ
YOASOBIについて書いた記事まとめ
公式・非公式問わずYOASOBI武道館ライブ『NICE TO MEET YOU』(2021年12月4日・5日開催)のライブレポートをまとめています! (勝手にまとめてしまいごめんなさい) 執筆お疲れさまです! 記事は#YOASOBI武道館のハッシュタグから拾っています。
「僕、実は鯨なんです」 最近よく顔を見るようになった男はそう言った。私が働いている定食屋でいつも唐揚げ定食を食べている。27歳の私と歳の近そうな男だ。 「わざわざ大海原から遥々いつもありがとうございます」 「いえ、海と比べたら陸なんて大した広さではないので」 「それでも泳ぐよりは遠いでしょう」 「この2本足というのが面倒で」 「いつもはヒレですもんね」 「そうではなくて、4本あるんだったら4本使えばいいと思うんです」 「あー、そういう動物もいますからね」 「海には8本や10
うろ覚えでバチ当たりな話なのだけれど、16歳の初詣で「18歳までに必ず死なせてください」とお願いした。それは叶わなかったし、指定した年齢は18歳だった気もするし20歳だった気もする。ただ、とにかく叶わなかったのでそれ以来神頼みはほとんど信じていない。そのことを最近何度も思い出す。18歳だったかな、20歳だったかな、あやふやになっているということはその出来事が自分から少し離れているからだと思っている。が、いったんは死んだ身として生きていることは多い。なにかを決めるとき、どうせ1
すこし寝坊。今日は朝ごはんを家で食べなかった。コンビニでパンを買おうとするといつも食べていたパンがなく、品揃え変わったんだと思った。なんとなくお腹の調子が良くない。気のせいか、気のせいじゃないのか、分からない。昼休みに、以前投稿した短歌が選ばれていることに気づく。びっくりした。なんで選んでもらえたのか分からないが喜ぶことにする。そう、こういうときの、なんで選んだのか分からないのが怖い。数合わせだったのかしらん、と思ったりもするし、分からない。300首くらいのなかから30首選ば
ディズニーの翌朝。眠い、が、がんばって起きる。今日はずっと仕事が忙しかった。今日できなかったことを明日に回して終わり。けっこう元気に生きてる。暖かさが増してきてなにかを思い出せそうになる。季節の変わり目って、なんか思い出せそうだ。春から夏になるとき、夏を思い出そうとしているのか。そうかもしれない。同じ夏は二度と来ない。
ディズニーランドへ行く。ちゃんと眠れたので元気に過ごす(前日に眠れない日がたまにある。すごくつらい)。ホーンテッドマンションがなぜかところどころカットされていて、乗り物のスピードも若干速くなっていて、どういうこと?効率化ってこと?と思う。アトラクションに効率化ってなぁ、と思いながら、スムーズに乗れたらそれはうれしく、ああそうか、なにかがゆっくり動いているということはその時間を誰かが楽しんでいる可能性があるんだ、と思った。効率化はその時間を奪っていたのかもしれない。それってなぁ
まー今日は一日本を作っておりました。ええ感じです。やっとここまで来たかーという。今日は石川啄木の命日だそうです。
強い孤独を感じるときは誰か自分以外の特定の他人を思い浮かべるときかもしれないなぁと思う。ひとりでいることに集中してたら、孤独とかわりとどうでもよくて、まぁ誰か他にいたらいいなと思うことはあるかもしれないけど、そこに特定の誰かが思い浮かばなかったらそこまでさみしくはない、気がする。ま、ほかに誰もいないしなぁ、という感じ。どっちにしてもひとりでいることには変わりないけど、なんかそういう種類の孤独もあるなぁ。昼間にゆっくり桜を見ることなく桜が散ってゆく。ほなさいなら。桜の木だけはぱ
本がもうすぐできそう。うれしい。
日の出がかなり早くなっているのを感じる。起きる頃にはすでにとても明るい。昨夜、みんなで舞台の配信を観たのが楽しかった。体には見た目があるから不便だな。その点、言葉だけなら発する人の見た目は見えないからいいなと思う。会って喋ったらそれは僕の体を避けられないし、だったら言葉だけでやり取りできたらいい。人と会って、ほんとうに話したいことを話すとき、自分は相手のことをほとんど見ていないことに最近気づいた。相手が自分の言葉にどんな反応をしているのか見ている余裕がない。目は開いていてもな
先日引いたおみくじに「愛をすべてささげよ」と書いてあったことについてずっと考えていた。
おとといと昨日の運転で腰が痛い。車で盛岡まで行くと帰ってきたあと、やっぱり電車で行けばよかったという気持ちになる。が、車で行かないと展望台まで行くのが大変なのでやはり車で行く。月曜日、ずっと眠い。朝から花粉症の症状が出てきて、多分昨日マスクをしないで外にいたせいだろう。明るいところで車を見たらフロントにおびただしい量の虫が引っついて死んでいて、ああこれだから、と思う。本当はトラックの後ろをゆっくり走っていればそんなことにはならないのだが、昨日はそうしなかった。たくさんの虫を車
盛岡で岩手山を眺められる展望台があって、朝はそこへ行った。6時に起きるつもりだったが5時に起きた。展望台には日の出から開いている喫茶店があり、そこで朝ごはんを食べることにする。展望台へ行くと、霧。濃霧で街並みさえもよく見えない。すごい霧だ。それは幻想的で、これはこれでおもしろいなと思いながら喫茶店の窓から霧が晴れてゆくのを見ていた。8時半ごろ、霧が晴れて岩手山が見える。雲が左半分にかかっていて、まるで山の半分が雲でできているみたいだった。喫茶店は8時で閉まってしまうので8時か
盛岡へ。朝から車を走らせて、すごく遠かったはずなのにあっという間に着いた。暖かい一日。岩手山の雪は少し溶けていた。春が来ているなー。まだ桜は咲いていないようで、街の賑わいもどこか穏やか。ふらふらするにはちょうどいい。コーヒーを飲んで本を買って、食べたいご飯を食べて。なんかもうこれだけでしあわせだなー。明日早起きしたいけど、できなかったらたくさん寝ちゃおう。あとはたくさん眠るだけような気がする。ちょっと今週はずっとなにか考えていすぎだった。たぶんそろそろ限界だろう。限界というか
誕生日だった。同郷?と言ったらいい分からないが三浦春馬さんと同じ誕生日。彼は30歳で死んだ。仕事が少し慌ただしい日。へんな電話を取るたび(誕生日、だったよな)と思い出す。誕生日だからって人は無敵ではない。でも無敵ってことにして生きてみたい。やりたいことをやりたいようにやる。無敵。やりたいことをやりたいようにやって、それで孤独になってしまったとき、うれしいだろうか。分からない。三浦春馬さん(親しみを込めて、春馬くんって呼びたい)が亡くなったのはコロナ禍がはじまったばかりの梅雨、
山がどんどん花に染まってゆく。これはとてもおもしろい。毎日少しずつ色づいてゆく。通勤で通る道の桜は咲くのが早すぎて雨に散っていた。ほかの桜はまだまだこれからで、満開が楽しみ。昨日はたくさん寝たのだが今日もぼんやり仕事をしていた。一日が早い。週の前半、とても悩んでいて、でも解決した。解決したというか、どう考えたらいいか分かった。決めたことを続ける。よし。東京で開催する読書会は満員となった。とりあえずひと安心。読書会を開催するとき、全然人が集まらなかったどうしよう、と不安になるが
夜更かしのため寝不足。ぼんやりと生きていた。ルーティーンの仕事が多いので多少ぼんやりしていても閑散期はなんとかなる。間違えてはいけないところだけは確実にやる。それ以外はぼんやりやる。沖縄で地震があったらしく、お客さんからその話を聞き、どうなっているんだろうと想像する。地震って、みんなちゃんと怖がれるからいいよな、と思う。地震は怖いもの、と分かっている。一定の理解がある。だから僕たちはどこかで地震があったことを誰かに話せる。