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〈掌編小説〉 『鯨』

「僕、実は鯨なんです」
 最近よく顔を見るようになった男はそう言った。私が働いている定食屋でいつも唐揚げ定食を食べている。27歳の私と歳の近そうな男だ。
「わざわざ大海原から遥々いつもありがとうございます」
「いえ、海と比べたら陸なんて大した広さではないので」
「それでも泳ぐよりは遠いでしょう」
「この2本足というのが面倒で」
「いつもはヒレですもんね」
「そうではなくて、4本あるんだったら4本使えばいいと思うんです」
「あー、そういう動物もいますからね」
「海には8本や10本は持ってるやつもいますから、それが2本っていうのは随分少ないなぁと思っています」
「でも4本のうち2本だけを移動に使うから残りの2本で唐揚げが食べられます」
「僕はいつもノーハンドで食べていますよ、魚とか」
「それは海では魚が浮いているからです。陸では唐揚げは浮かびません」
「おかしいですよね。唐揚げなのに宙には揚がってこない」
「唐揚げは唐揚げになった時点でもう揚がってるんですよ」
「唐揚げはこの高さが限界ということですか」
「高さでいえば付け合わせのレタスもご飯もお皿の上が限界です」
「だからわざわざ2本足で立っていると」
「みんなお皿の上の料理を食べたくて足を2本しか使ってないんですよ」
 ああそういうことか、と彼は納得して箸で唐揚げを1個持ち上げた。
「僕の知り合いもこれになったことがあるらしくて」
「鯨肉の唐揚げですか」
「又聞きですけどね」
「唐揚げになった鯨からは聞かない話でしょうね」
「それで唐揚げというものはどういうものなんだろうと思い立ちまして」
「びっくりしたでしょう」
「いえ、食べ物だとは聞いていたので、こんなもんかと」
「海には油で揚げる文化はないですよね」
「思ったより揚がってこないなと思いました」
「お皿の上が限界ですから」
「それで何度も食べているうちに唐揚げになりたいなと思ったんです」
「鯨って案外食べられることにルーズなんですね」
「海にいれば分かりますが、食べる時や食べている時はその裏腹に食べられる時でもあります。海にいればいつか自分が食べられる時が来るんですよ」
「唐揚げになって食べられたい?」
「きっと人間は一度には僕を食べ切れないでしょう」
「あなたの海での大きさを知りませんけど、何日かに分けるか、みんなで食べないと食べ切れないでしょうね」
「だから僕を唐揚げにしてほしいんです、あなたに」
 彼は唐揚げに齧りついて、そのあとからご飯を口に入れた。咀嚼して、飲み込むと彼は口を開いた。
「どうせ知らないなにかに食べられるくらいならあなたに唐揚げにしてほしくて。ダメですか?」
「あまり受けたことのない注文だったのでびっくりしています」
「そうですよね、ここは唐揚げを食べるところですからね」
「唐揚げにするのは構いませんが、鯨肉を調理するのは初めてです」
「心配しないでください。又聞きですが調理方法も聞いています」
 調理方法を教えるので良かったら今日の夜、お時間取れますか。人間の彼はそう言った。




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