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バンクーバー留学記#2 〜もう一人の男と出会い。そして全てが動き出す〜

バンクーバーの中心からバスで約30分。ライオンズゲートブリッジを渡った先に、アクアバスという、電車やバスと同じ公共交通機関である、船の発着駅がある。その駅から山頂にかけて1本の道があり、その道に沿ってお店が立ち並ぶ、ゆったりとし、落ち着いた雰囲気が漂うこの街が、
ノースバンクーバーだ。
初めて海外留学をする人間のほとんどは、ホームステイという、現地に住んでいる人の家に住み、その家族とともに過ごす「海外生活」を1.2ヶ月ほど体験する。僕もそんな留学生の一人であり、僕の世話になったホームステイ先が、ここノースバンクーバーにあった。

朝食は、家にあるものを自由に食べていい。昼食は、ホームステイ先のお母さんが作ってくれたサンドウィッチを学校に持っていき、夕食は、19時頃に家族全員で食べる。もし外食する場合は、ホームステイ先のお母さんに事前に連絡をしておくというルールだ。
ここに住み始めた頃は、学校が終わると、少しバンクーバーの街を散歩した後に帰宅し、家族と一緒にご飯を食べるという生活をしていたのだが、
彼に出会った頃から、この家族と夕食を一緒に食べるということは、ほぼなくなってしまった。ホームステイ先の家族は、家族と言っても、ドイツ人とフィリピン人の老夫婦とスイス人留学生の3人だけで、皆が想像するような、透き通った青い目を持つ可愛い子供と、その遺伝子を持つ両親と一緒に、明るく楽しい時間を過ごすような感じではない。
僕はこの老夫婦とスイス人留学生とともにする夕食の時間が嫌いではなかったが、タガログ語鈍りの英語と、ドイツ語鈍りの英語を聞き取る能力が全くなかった僕は、その会話に入ることができず、ただ笑って過ごすだけであった。学校では自分の英語力の成長を感じていて、もっと頑張ろうと思えるのだが、それは、英語の発音が世界一聞き取りやすいカナダ人が使う英語の中での成長であって、一歩外に出ると、その世界には英語が母国語ではない人間の方が多いのだ。そして英語を母国語として話す人間の英語にもそれぞれの鈍りがあり、イギリス、アメリカ、オーストラリア、南アフリカなどの人間が話す英語を一つの言語だと認識することは、その時の自分にとっては不可能であった。
僕自身、ホームステイは今後の人生でもう二度と経験することのない、とても良い経験だと思っていたのだが、夢を叶えている男のamazingな日常を見てしまった僕にとっては、その男と過ごす時間のほうが断然楽しかった。
そんな僕はいつしか、ノースバンクーバーに帰ることを辞め、バンクーバーの中心にあるアパートの一室を借りることにした。
その場所は、彼の住むコンドミニアムの近くにしようかとも考えたのだが、僕はコンドミニアムがある、街の中心部の東側から逆側に位置する、「イングリッシュベイ」という、夕日がとても綺麗に見えるビーチの近くに住むことにした。
イングリッシュベイに来たのは、彼に、「おすすめのチルスポットがあるから」と連れて来てもらったのが最初で、その日僕は、その「チル」という言葉の意味が理解できず、どんなスポットなのかと思いながらついて来たのだが、ここに到着したときには、その「チル」という言葉の意味をすぐに理解することができた。
遠い海の向こうに、動いているのか止まっているのか分からない船が3隻浮かんでいる。そのさらに奥から、くっきりとその形を現した太陽がビーチを照らしている。
そのビーチには、椅子代わりに大きな木が何本も並んでいて、そこに腰掛け、その神秘的な太陽の姿を眺めている人間もいれば、砂浜でスポーツしている人間、音楽に合わせて踊っている人間、レストランで食事を楽しんでいる人間、タバコの形をしたものをなぜか大勢で回しながら笑い合っている人間達の姿があった。僕の目の前に広がるその光景を一言でいうと「チル」になり、もし「チル」を日本語で表現するのであれば、「落ち着いた」や「平和」や「温かい」のような言葉を、僕だったら使うと思う。

そんなチルスポットで彼は、久石譲の「Summer」を流し始め、「瞑想」を始めた。僕が通っていた保育園には、「座禅」をする時間があり、そのときに「目を閉じて座る」という行為はやったことがあったが、その時以来、眠っているとき以外で目を閉じながら座ったことなんて一度もなかった。
「瞑想」という行為が何を目的としているのかが全く分からず、僕はひとまず、瞑想をしている彼の隣に座りながら、「Summer」が終わるのを待った。「Summer」が終わると、彼はゆっくりと目を開け、瞑想を始める前とは比べ物にならないくらい落ち着いたテンションで僕に話しかけた。

「夢を思い浮かべるんだ。そしてその夢が叶った場所にいる自分の姿をしっかりと見る。それが、俺がここにわざわざ来てやることなんだ。」

なぜだか分からないが、僕はその行為にとても興味が湧いてきた。
「もう一回 Summer 流してもらえますか?」と、僕は彼に言い、
久石譲の名曲「Summer」とともに、自分が思い浮かべる夢の世界へ、色鮮やかな熱帯魚がたくさんいるモルディブの海へダイビングするような気持ちで、入っていった。
のだが、僕がダイビングした海には、熱帯魚は一匹もいなかった。
夢を思い浮かべることができなかったのだ。

ハリウッドに挑戦するためにバンクーバーに来て、やっとの思いで辿り着いたバンクーバーで、隣には、その夢を実際に叶えた人間がいる、こんな想像もしていなかったamazing な時間を過ごしているのに、僕はこの先の自分の未来を何も想像することが出来ない。それは、「自分はこれから夢を叶える為に何をするべきか」ということを自分の中で持っておらず、ただ隣にいるこの男に頼っていれば何か起こるかもしれないという、他力本願な自分に対する甘えの証拠であり、その甘えから抜け出さない限り、僕の夢は、たとえ何十年もこの場所にいたとしても叶うことはないということを教えてくれた瞬間だった。
隣にいる彼には、そのことを正直に言うことができなかった。

イングリッシュベイの近くに住んだのは、そんなことがこの場所であったからである。僕はその日のことが、なぜか「何かのスタート」のような気がして、これから僕がどこに向かったとしても、この場所に来てこの光景を見ることさえできれば、「初心を忘れる」こと、いわゆる、あの日感じた「自分の無能さ」を忘れることはないだろうと思ったからである。でももしかすると、そんな理由は後付けであって、僕は単純に、この場所の景色に感動し、この景色を毎日でも見ていたいと思っていただけなのかもしれない。


その日も、いつもと変わらない光景が広がるチルスポットへ向かい、僕はすでに習慣になりつつあった瞑想を始めた。大木が空いていないこともあってその日は、少し下り坂になっていて座りやすい、海のそばギリギリの水がかからない場所で瞑想をした。今日もまた夢を思い浮かべることはできなかったが、目の前に広がる綺麗な夕日に満足した僕は、立ち上がり、自宅に向かって歩き始めた。
海から見て砂浜を越えたところにある、自転車と歩行者専用道路まで来たときだった。僕の右斜め後ろから走ってきた木刀を持った人間に、いきなり右のお腹を切られた。一瞬何が起こったのか判断できなかったが、その切りかかってきた人間の声で、僕は一瞬にして冷静さを取り戻した。
木刀で僕のお腹を切ったのは、スタントマンだった。彼はこの砂浜で、日本刀を使ったアクションシーンの練習をしていたらしい。その練習場所へ行ってみると、短剣を両手に持った一人の男が、こちらを見ながら立っていた。その男がスタントマンと一緒に練習していた人間だと分かった僕は挨拶をしようと思い、男に近づいた。男の顔がはっきり見えるところまで近づいたとき、僕はその男が、ロサンゼルスで会ったハリウッド俳優から、「バンクーバーに着いたらぜひ会ってほしい人物がいる」と紹介された、もう一人の人間だということに気がついた。

僕がバンクーバーに着いたことをロサンゼルスで会ったハリウッド俳優に連絡すると、彼からウェブサイトのURLが送られてきた。そのURLは、バンクーバーにある新聞社の記事で、そこには、「ワーキングホリデーで夢を叶えた二人」というタイトルのもと、新聞1ページ分にぎっしりと文字が並んでいた。僕は初めてスタントマンに会ったとき、もう一人の男の存在がどうしても気になっていたこともあり、記事を読んだことを伝えた後に、
「もう一人の方は今どこにおられるのですか?」と聞いた。すると彼は、「あぁ、あいつは今日本に帰ってるよ。」とだけ言った。
僕はその彼の言葉のが、なぜか不自然であったことだけを感じ、それ以上何も聞かなかった。それから約2ヶ月、僕は偶然にも、その気になっていた男に、「何かのスタート」であるこの場所で出会ったのだった。

スタントマンよりも長い髪の毛の上に黒いハットを被り、野生の狼のような、鋭くキリッとした目つきと、モデルをやっていてもおかしくないくらいの高い身長と体つき、満面の笑みで「初めまして。」と挨拶をする僕に対して、全く笑顔を見せることもなく、ただ黙ってお辞儀を返すその姿は、無愛想社交性がないという、現代に生きる人間が作り出した価値観の中で、
一般的には良くないことだとして捉えられてしまう振る舞いであるということを忘れさせ、そんなものはちっぽけなものであり、本来、人間と人間というのは、そんなちっぽけなもので繋がり合うものではないと気づかされる、何か得体のしれないエネルギーを発していた。

彼はお辞儀をした後、僕に、
「さっきあそこで瞑想してたよね。」と言い、そのタイミングで少し微笑んだ。僕はその瞬間が、森で出会った野生の狼が、僕の様子を伺った後に仲間だと認め、襲うことをやめたように見え、事実、その日僕はこの二人とともに、暗闇に包まれたイングリッシュベイを後にし、スタントマンの家へ行くことになった。
イングリッシュベイからスタントマンの家に歩いて向かう途中、僕はこの謎の木刀と短刀を持った怪しい二人が並んで歩いている姿を眺めながら、「いったい僕の未来はこれからどこに向かうのだろうか」と、不安と怖さを感じる中で、興奮していた。買ってきたチキンを焼いて食べて、Netflixでも観て寝ようと思っていた1時間前の自分はどこへ行ってしまっただろうか。そんな決まりきった予定が流れる世界から、一瞬先の未来で何が起こるか全く分からない世界へ、この二人に導かれ、やってきた。その世界へ導いてくれた二人に「ありがとう」と言いたくなったが、その瞬間に、「それは自分の実力だよ。」という、スタントマンの言葉が心に響く。たしかにこの二人とイングリッシュベイで出会ったことは偶然だったかもしれないが、そこから三人で家へ行くことになったのは、僕が二人の世界に入ることを、二人が認めた結果であって、その結果は、僕が自分の力で手に入れたものなのだ。
そう思うと、この怪しい二人について行くことへの不安や怖さは消え、
「これから何が起こっても楽しもう」という気持ちになった。
そして、スタントマンと二人で過ごしていた世界にもう一人男が加わり、
いや、スタントマンともう一人の男の世界に、僕という新しい人間が加わった世界が幕を開け、その世界は、スタントマンと出会ったことで体験した、想像を遥かに超えた世界をさらに超えた世界であった。そしてその世界で過ごす毎日が、僕がこれから向かおうとしていた未来を、全く違う方向へ導いてゆくということなんて、このとき僕は知る由もなかった。

Ryoma


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