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バンクーバー留学記#3 〜壮絶な過去〜

男はタバコに火をつけ、ここから見えるバンクーバーの夜景を、何か意味ありげな表情で眺めていた。無駄なことは一言も言わず、ただ黙って遠くを見つめるその姿は、体と心を完全に分離させ、ここに帰って来るためだけに物理的なその身体を置いておき、身軽になった心だけで、目の前に広がる、夜のバンクーバーの街を散歩しているように、僕は見えた。
僕にとって、その男の姿はとても不思議だったが、スタントマンはそんな男のことをなんとも思っていない様子で、のんきに口笛で「Summer」を吹きながら、キッチンでパスタを茹でていた。

「またこっちで暮らし始めるんですか?」
僕は、スタントマンが作った絶品のカルボナーラを一口食べた後に言った。

「いや、LAに行く。」

「ビザ、手に入れたんですか?」

「今待ってるんだ。」

「すごいですね。」

「これからだよ。」
彼はカルボナーラを無表情で食べながら淡々と僕の質問に答えた。

アメリカには「Oビザ」というものがある。
「Oビザ」は、映画やテレビなどで卓越した業績をあげた者が入手できるビザで、男はそのビザをアメリカ政府へ申請しているところだった。彼はここバンクーバーで、テレビドラマのキャストに抜擢されていた。そしてそのスタントシーンをやったのが、この本場のイタリアンシェフが作ったような
お洒落で美味しいカルボナーラを作ってくれたスタントマンだ。
そのことを書いた記事を見て、ここに辿り着いたのが僕で、そんな僕は、日本で何本か映画に出演したことはあったが、そのことを記事に書かれたこともないし、IMDbやタレント名鑑に名前が乗っているわけでもない。
スタントマンと出会ってからの日常は、初めて経験することの連続で、それは夢のような日常だったが、もう一人の男と出会い、この二人の間で過ごす時間は、夢のような日常を通り越し、違う世界で生活をしているように感じた。それは、同じ夢を目指す者として、二人と自分を比べて、二人が凄い実績を持っているから、その二人と過ごせていることが夢のような日常なのではなく、夢や過去の実績というものを抜きにして、ただの人間と人間の関係において、この二人は異次元の世界で生きている人間達であり、その人間達と一緒に過ごしていることが、僕にとっては違う世界で生きていることだったのだ。
そしてその世界で生きる僕は、自分の中にある何かが変わろうとしているのを感じていた。

男は無口だが、僕が何か質問すると、しっかりと答えてくれた。
僕はここまで無口な男に出会ったのは初めてだった。無口な人間が話す言葉は、その言葉の少なさゆえ、その一言一言に重みを感じる。そんな重みがある言葉は、いったいどんな経験から生まれてくるのだろうかと、僕はこの男の過去に興味を抱いた。そういえばスタントマンの過去も僕はこのとき知らなかった。
普通、初めて会う人間同士は、お互いの過去を共有し合い、その人間がどういう人物なのかをお互いで調べあうということをやる。今までの僕もそうだった。でもスタントマンとこの男は違う。
その人間が放っているエネルギーのようなものを嗅ぎ分け、そのエネルギーが自分達と合うかどうかでその人間と関われるかを判断する。
目で見えるもの以上に、目で見えないものを大切にし、自分達が感じたその感覚を信じて行動する。そしてその感じる能力を磨き続けることが、この二人が日常生活で常に意識していることだった。

ある日の朝、僕のスマホにメッセージが来た。
スタントマンからのメッセージの内容は、

「これから山行くけど来る?」

僕は、「行きます。」と返事をし、
どんなことが起こっても大丈夫なように、
動きやすい格好と、最低限の荷物だけを持ち、この二人とともに、スタントマンの愛車である、黄色のミニクーパーに乗って、山へ向かった。
山に着くと、彼らは裸足になった。この二人と行動をともにすると、僕が想像できる以上のことが必ず起こるのだが、その日もすぐに僕の想像を超えてきた。

裸足で山を歩くとなかなか思うように前に進むことができない。
尖った石や枝などを踏んでしまって足が痛いからだ。でもその険しい道を歩き続けなければならない。その為に、まわりに落ちている大きな枝を杖代わりにしたり、出来るだけ平坦な道を見つけ、その道を歩く。目の前に二つの分かれ道が現れると、直感に従ってどちらの道に進むかを決める。そして途中でとても綺麗な芝生が生えた場所を見つけると、そこに座り、太陽光を浴びながら休憩するのだ。休憩場所を見つけ、その場所に腰を下ろしたとき、それまでほとんど言葉を発しなかった男が僕に言った。

「登山は人生と同じなんだよ。」

「どういうことですか?」

「裸足になると、本当の山の姿を感じることができる。山はたくさんの動物と植物があって、それらはとても複雑なんだ。俺たちがいつも生活している人間社会も、たくさんの人間がいて、そこにはその人間達の欲が入り混じっていて、とても複雑だ。だから自分が思うように進みたいと思っていても、そこにはいろんな障害があって、それが邪魔をする。でもその道を進まなければならない。一人では歩けないときもある。そんなときは、まわりにいる人間に助けを求めるんだ、さっきお前が使っていた木の枝のようにね。そして人間社会にはたくさんの危険があって、そこに足を踏み入れることで怪我をしてしまう。だから常に自分が今歩いている道、次の一歩を踏み出す場所を集中して見ておかなければならない。さっき二つの分かれ道があっただろ。人生にはどちらか一つを選ばないといけないときがある。その二つの道は、入り口の少し先までは見えているが、その先がどうなっているかは分からない。だからそんなときは自分の直感を信じて決めるしかないんだ。そして自分が決めたその道がどんなに険しくても、自分の選択に責任を持って、進まなけばならない。そんな険しい道の途中に、ここみたいに綺麗で落ち着いた場所を見つけたら、そこで休めばいい。体力が戻ったらまた進もう、日が暮れる。」

「なるほど。」
僕は、半分くらい理解したつもりでそう言った。

「俺ら変わってるだろ。」
スタントマンが僕に言った。

「面白いです。」

「まぁ今こいつが言ってたことを面白いって思うってことは、お前も俺たちと同じだな。」
スタントマンは微笑みながらそう言った。

そして僕たち三人は、この山の壮大なエネルギーを吸収するという目的で、たくましく生えた芝生の上で瞑想をした。

こういったことを世の中では「スピリチュアル」と言うことを知ったのは、
僕が帰国してから、日本いる友達にこの日のことを話したときだった。この話しを聞いた友達は、僕がおかしくなってしまったのかと心配したが、そんな友達を見て僕は、「あの二人は本当に違う世界で生きる人間だったのかもしれないな」と、心の中で思い、その世界にいた自分は、本当に今の自分なのだろうかという、不思議な疑問が湧いた。

無口な男の過去を僕が初めて聞いたのは、イングリッシュベイで初めて出会ったときから1ヶ月ほど経ったときだった。
その日僕たち三人は、スタントマンの家のベランダで、夏に近づき、日が暮れても寒さを感じなくなったバンクーバーの景色を眺めながら、スパムを食べていた。

「そういえば、バンクーバーに来るまでは何をしてたんですか?」
僕がそう言うと、スタントマンがなぜか笑った。

「まぁそろそろ話してもいいか。」
男は口に入ったスパムをトニックウォーターで流した後に言った。

スタントマンが5秒ほど沈黙した後に、
「いいんじゃない」と言った。



「刑務所にいたんだ。」

「ほんとですか?」

「うん。」

「なんでですか?」

「運が悪かったんだよ。」

「どのくらいいたんですか?」

「数週間かな」

「そうなんですか。日本で俳優はやってたんですか?」

「いや、日本でやったことはない」

「じゃあなんでハリウッドを目指そうと思ったんですか?」

「話せば長いよ。」

「教えてください。」

「夜になるといつも、刑務所を出た後の夢を誰かが話し始めるんだ。するとまた誰かが夢を話し始めて、それに続いてみんなが夢を話し始めるんだ。そこにはもう何十年も前から刑務所にいる人もいて、その人が話す夢は、昭和のバブル時代の人間の夢で、「そんな世界はもう外にはないよ」なんてことを思ったりもしながら笑って聞いていたんだ。人間ってのは、夢や希望を持っていないと生きていくことが出来ないってことをそこで確信したよ。
俺は刑務所にいたとき、夢も希望も無くしていた。「これが正解なんだ」と思って必死にやってきた結果がこの様かと思っていたからなんだ。自分で決めた夢に向かって必死で走ることなんてもうやめようと思ってた。
でもみんなの夢を毎晩聞いているうちに、俺もやっぱり夢を持って進み続けようって思えるようになったんだ。
この人達と比べたら俺はすぐに外に出てまた自由になれる。いつここから出れるか分からない人でも夢を持って必死に生きているのに、俺が夢を持たないなんて、そんなことが許されるわけがない。夢を持って、その夢に向かって行動できる自由があるのに、それをやらないなんて、夢を追いたくても追えない人間に対して失礼だし、夢に向かって行動出来る人間は、責任を持ってその夢を叶えて、誰かを幸せにしなければならないんだって思ったんだ。だから必死に夢を考えた。自分に出来ることはなんだろう、自分はどんな夢と希望を世の中にいる人達に見せることが出来るのだろうってね。
それで自分の番がやってきたとき、俺がみんなに話したのが、
ハリウッド俳優だったんだ。
俺は幸いなことに英語が話せるから、日本人でもハリウッドで活躍出来るんだ、世界に出て戦えるんだってことを、これから世界で勝負したいと思っている、表現者全員に証明したいと思った。日本人しか持っていない素晴らしいことをもっと世界に見せつけてやりたいんだよ。もし俺がハリウッドで活躍出来るようになったら、日本にいる俳優がハリウッドで活躍できるパイプを作ることができるかもしれない。チャレンジできる環境があれば、それだけチャンスは増えるんだ。だから俺はその夢を諦めずに叶えたい。これは俺なりの、この世に生きる人間達への恩返しなんだよ。」

僕はこのとき何も返す言葉が出てこなかった。その過去に驚いたのか、今の言葉に感動したのかは分からない。ただ一つだけ言えることは、僕は今まで生きてきた中で、「ここまで熱く自分の思いを人に話したことなんてない」ということだけだった。そしてこの男に初めて出会ったときに感じた、何か得体の知れないエネルギーの正体が分かったような気がした。
それは、「本気さ」だ。

何かに向かって、本当に本気で進み続けている人間には、全てを動かす力がある。その夢に心を動かされる人間がいて、その人間達で協力し合い、一人では出来ない大きなことをやり遂げる。そしてこの世の全て、偶然や奇跡という「運」までもを動かし、全てを味方につけて、夢を叶えるのだ。
僕の目の前にいる男はその力を持っていて、その男に心を動かされ、男ともに夢を叶えたのが、隣にいるスタントマンだ。夢は夢を生み、その夢は誰かに生きる希望と力を与える。僕もそんな得体の知れないパワーを持ったこの男に心を動かされ、生きる希望と力を与えてもらった人間の一人だった。
僕が本当にやりたいことは何だろうか。今自分が向かおうとしている夢は、
本当に自分の心が向かいたいと思う場所なのだろうか。あの男のように熱く語れるくらい本気で思っている夢なのだろうか。この日から僕は自問自答を繰り返すようになった。

イングリッシュベイを照らす夕日を眺めながら、僕は考え続けた。
昨日、男が熱く語っていたシーンが繰り返し頭の中を駆け巡る。その度に僕は、今まで夢だと思っていた自分の夢が、夢ではないように感じた。
彼の言葉の中で、印象に残っている言葉があった。

「もし俺がハリウッドで活躍出来るようになったら、日本にいる俳優がハリウッドで活躍できるパイプを作ることができるかもしれない。チャレンジできる環境があれば、それだけチャンスは増えるんだ。だから俺はその夢を諦めずに叶えたい。これは俺なりの、この世に生きる人間達への恩返しなんだよ。」

僕はこの言葉を繰り返し頭の中で流しているとき、あることに気がついた。
それは、「自分の夢は、誰かの為に叶えたいと思っていない」
ということだった。
だから彼の夢が大きく見え、自分の夢が、夢ではないくらい小さく見えたのだった。自分の為に夢を叶えるよりも、誰かの為に自分の夢を叶えることのほうが、絶対楽しい人生になる。それは、叶えた夢が誰かを幸せにし、また誰かに夢と希望を与えるからだ。
自分のした行動が誰かを幸せにすること以上の幸せなんてない。
僕はそんな生き方をしてみたいと思った。





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