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誰かの人生を追い求める人生。自分の人生を追い求める人生。

僕たちは、自分がこの世界で唯一無二の存在であることをすぐに忘れてしまう。でも自分がそんな当たり前のことを忘れているだなんて、ほとんど
みんな思っていない。

高校を卒業したら大学に進学したほうがいい。
新卒で入った会社をすぐに辞めるのは良くない。
仕事を辞めたらすぐに転職活動をしないといけない。
この歳にもなってアルバイトなんてできない。
夢を追いかけても良かったのは学生の頃だけ。
夢を叶えられなかった自分は、特別な才能のない人間なんだ。
収入はこれだけないといけない。
結婚したら真面目に働かないといけない。

挙げればもっとたくさん出てくるけれど、それって誰が決めたの?
ってことに、自分が気づかないうちに縛られてることって結構ある。
誰かが、世間が決めた常識にハマれない自分の心を、どうにかして常識にはめ込もうとするから、しんどくなってしまうのだと思う。

僕の家には今、7種類の観葉植物たちがいるけれど、同じ植物なのにみんな全く違う形をしている。全く違う形をしているだけじゃなくて、光に弱かったり強かったり、水を多く必要としていたりしていなかったり、それぞれが全く違う性質を持って存在している。同じ木から生えた葉っぱだって、
みんな全然違った形をしている。
僕たちはこんな当たり前のことを知っているのに、自分のことになったらそのことを忘れてしまう。人間も植物も同じ生命なのに。

10人の人を集めて、それぞれに「将来やりたいことを10個」書いてくださいって言って、全員が10個とも同じことを書く確率ってどのくらいなんだろうか。僕は多分0%だと思う。もしそれを一卵性の双子に書いてもらったとしても、二人が10個同じ「将来やりたいこと」を書くなんてあり得ないと思う。僕たちはそれだけ違う。だから生き方も違うはず。


僕たちはみんな違う。


誰かの成功体験は誰かの幸せの形であって、もし自分が同じような成功をしても幸せにはなれない。唯一、自分自身が幸せになる方法は、自分で自分の人生を生きることだけだと思う。そこには、大きいも小さいも存在していない。だって植物も、花も、大きいものもあれば小さいものもある。
それぞれが、それぞれの場所で、それぞれの花を咲かせればいい。
誰も見つけられないような場所に、小さく咲いていたとしても、
ひとり誰かが見つけてくれたら、それはその人にとってかけがえのない存在になるんじゃないかなって思う。
だから誰になんと言われても、世間にどう思われても、自分の思うように生きた方がいい。その結果はどうなるかは分からないけれど、
自分らしい、自分だけの人生を生きる挑戦をするその生き方に、価値があるんじゃないかな。

今は誰にも相手にされなかったとしても、まだ自分のことを知らない誰かが、自分のことを必要としているかもしれない。
そう思いながら自分らしく生きていれば、いつか必ず自分だけの幸せな人生を生きることができるはずだと、僕は思っています。

Ryoma Kobayashi

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