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「同情するなら金をくれ」に似たような話(?)

こないだ、寝込むくらい体調を崩してしまって2、3日寝込んでしまったんです。
家族が「体調はどうか?」と何かと声をかけてくるんです。
でも、それぞれ元々の予定などもあって特に看病してくれるわけでもなかった状態だったんですが、声をかけるのは心配だったからでなのでしょう。

「体調はどう?」って何度も何度も声をかけられるのです。

正直、今まで久しくないくらい具合が悪かったので、いちいち聞かれて自分の状態を伝えるのも頭が回らない状態。最初のうちは答えるものの、最後の方はほぼ無視しないとしんどかったんです。あれをしてくれ、これをしてくれとお願いするのも頭が回らず、じっとしてました。

体調がもとに戻ってから数日経って、その時の話題になりました。
「正直、「同情するなら金をくれ!」って気持ちになったよ。心配の声をかけるなら何かが必要じゃないか?って考えてほしい時もあった」「本当に辛かったんだから…」と苦言として気持ちを伝えました。

まあ、難しいことだったと思うので心の底から思っているわけではなく、どれだけ今回が辛かったかを私もアピールしたかったのかもしれないと振り返れば思う。

この「同情するなら金をくれ!」ってセリフ

古いドラマ「家なき子」の名台詞。
このセリフ誰もが知ってるすごく有名だけど…
全然ちゃんと見たことはないのですが、ドラマの背景は貧しい孤独な女の子の話ってイメージ。

同情するなら金をくれ!
可哀想に…とかそういった慰めの言葉なんかいらないから具体的に助けてくれ!ってことだよなーってしみじみ考えてしまったわけなのです。

かける言葉と思いやりの行動

話はそれますけど、恋愛指南をしてる方がsnsとかで発信してるのを目にしたときに、よく「言葉ばかりで行動をしない男よりも言葉は少ないが行動してくれる男を大事にしなさい」なんて言われることがあるが、これも似たような話だよなーって思ったりします。異性に限らず、人間関係は全てこれが言えるように思います。

言葉ではなんとでも言えます。 あなたが好きとか大事に思ってますとか心配だとか…優しい言葉も甘い言葉もどれだけあなたへ愛を表現する言葉も。。
その言葉をかける顔や目がこちらではなくどこか違う方を向いていたら…ただの言葉になってしまう。
言葉を言うだけではただの紙切れ一枚になってしまう時もある。

でもその言葉を行動で伝えてくれる、真っ直ぐ目を見て伝えてくれたり、言葉以上に行動が言葉を意味していたり、想いから思いやりで生まれる行動をする人には、よりその言葉に信憑性、信頼性を感じる。そんな姿勢を受けると心からその言葉の意味を受け止めようとも思うし心に染み込みますよね。

自分は相手に対してどうだったか?

とはいえ、私は人に対してどうだったか?空返事などをしてしまっていたかも知れません。
身をもって感じたことは人は自分を映す鏡だと思って。
私もきっと人に同じことをしてしまっているかもしれないし、自分がそうだから人からされてしまうのかもしれない

丁寧に生きるために忘れないようにするべく部分かもしれませんね。


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