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同質化されるものと、同質化されないもの。

※「インターネットでの言論について同質化の同調圧力がある気がする。」そんな記事の内容です。それっぽいことを冒頭に書きながら、何の科学的根拠もなく書き進めていきたいと思います。

論文を何本かそれっぽいやつを探して目に通してみたけど、イマイチよく分からなかったので、もはや僕の見立てで徒然と書いていきます。

戦後の日本はの移動における特徴は、新幹線やその他の交通網の発達、マイカーブームなどあった。その結果、移動が容易になり、日本特有の農村社会が同質化の波に襲われた。戦後に生まれた高度経済成長期の子どもたちは「金の卵」として地方から都市への移住が進んだ。地方に残った人々も21世紀には高齢化が進み、限界集落と呼ばれるような地域が増えた。それがいわゆる過疎化である。その中で<都市化が進む社会>−<取り残された地域社会>という二項対立があり、<新たな都市の文化>–<消えていく地域の文化>という二項対立にも繋がった。新たな都市の文化は、マジョリティとしての文化の同質化をもたらした。

商業面を見てみてはどうだろうか。地方を見ればイオンを中心の地域経済となっている。駅前通はシャッター街になって、個人商店は潰れていく現状がもう数十年前から始まっていた。近年でいえば、Amazonや楽天などのインターネットショッピングサイトがあれば、おおよその地域で欲しいものが届く。そのような社会になってしまった。都市を歩けばどこにも並ぶチェーン店。牛丼やハンバーガーはどの地域でも同じクオリティのものを安価に口にすることができる。

僕たちは社会の進化に伴って、いろんな同質化を味わってきた。最近感じるのは、インターネットの発達およびSNSによる言論の同質化だ。

SNSの言動でめんどくさいのは、道徳観・価値観・モラル・正当性……そんなものを押し付けられるのだ。うるせえよ、Fxxk。あ、こんなのも許されねえか。

道徳観・価値観・モラル・正当性、そんなものを押し付けられた社会の先に何がある?誰も間違えないように、模範解答を追い求められるような社会だろう。模範解答は所詮、「模範」であって本当にそれが良いかなんて正直分からない。少し遠回りな解があったっていいじゃないか。最短距離で正解に行けることにそんなに意味はあるのかね?何を生き急ぐのだ、君は。

インターネットやSNSの息苦しさは何なのだろう?世の中全体的には多様性を包摂する流れに向かっているはず。なのに、インターネットやSNSでは間違ったことは許されない。間違ったことは名も知らぬものによって襟を正される。襟の正され方が暴力的であったりもする。正しいことだから暴力的でも許されるのか。それが君の信じる正義なのか。

同質化は進んでいく。社会が進むにつれて同質化は避けられないのかもしれない。近年に至っては言論や考え方にまで同質化の波が訪れた。

しかしながら、同質化が進まない部分もある。同質化に抗いながら大切な多様性の部分を残していきたい。

(注)本記事で使用した語句は学術的背景をまったく押さえておりません。「同質化」の意味などは個人の文字的感覚に依拠して書いております。


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