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宗庵よこ長で湯どうふを語ると、嬉野の魅力と課題が見えてきた。

嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。この連載も今回で6回目となり、ぼくもかなり嬉野に染まってきました。

第1回でお届けした嬉野温泉の温泉湯どうふの特集。「湯どうファー」を自称する、ヘネシー吉川さんの湯どうふ講義はぼくを温泉湯どうふの世界にいざなってくれました。

じつはぼくが住む福岡県でも、スーパーに行けば佐嘉平川屋さんの温泉調理水と温泉湯豆腐用の豆腐が販売されているんですよ。最近はダイエットの意味もあって、週に1~2回は温泉湯豆腐を食べています。

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そんなぼくがずっと「一度食べてみたい」と思っていたのが、宗庵よこ長。元祖・温泉湯どうふを謳う名店です。

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ヘネシー吉川さんからも「定番と思いきや、じつはかなりオリジナリティのある湯どうふ」だと教えられていましたが、実際に食べてみてそれを実感。

最初から煮汁に味がついているだけでなく、豆腐の食感は他店よりもトロトロというより、フワフワ感が強い感じ。また新しい温泉湯どうふの美味しさを知ることになりました。

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そんな宗庵よこ長さんにて、温泉湯どうふ誕生と嬉野名物になるまでの経緯、そして温泉湯どうふの未来について。旅館大村屋の北川さんと一緒にお話をうかがいます。


創業当初から構想にあった「名物湯どうふ」

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宗庵よこ長 店主 小野原博さん

――宗庵よこ長さんで、湯どうふのメニューが誕生したのはいつ頃なんですか?

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昭和32年の創業当初からあります。創業前から湯どうふを提供しようという構想がありました。

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当時の反応はどうだったんでしょうか?

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日本で「湯どうふ」と言うと、基本的には京都の湯どうふを想像するじゃないですか。だから、白濁した湯どうふを目の当たりにして「これは何?」と。「びっくり仰天」というか。

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ぼくらも学生のころ、京都に修学旅行に行ったら、白濁していない湯どうふが出てきて「こんなの湯どうふじゃない!」って言ったことがありますよ。

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――その逆ですね。笑 お客さんに京都の湯どうふと区別してもらうために、何か工夫をしていた点はありますか?

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京都の湯どうふと区別するために「名物湯どうふ」として出していました。今でこそ「温泉湯どうふ」という名前が一般的になりましたが、それはここ最近の話ですよ。

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――嬉野では、宗庵よこ長さんが創業する前から温泉水を使って湯どうふは、食べられていたんですか。

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身近に温泉があるから、それを使って温めて食べようと。当時はその程度かと思います。

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いわゆる商品化は全然されていなくて、家庭に当たり前にあったものだったということなんですね。

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――何がきっかけで商品化を思いついたのでしょうか。

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創業者である、わたしの父の本家が豆腐屋さんでして。

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へぇ!元は豆腐の製造をされていたんですね。

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父は「嬉野の温泉水を使って豆腐をゆでると、豆腐が溶ける」ということは小さいころから知っていたんです。それで商売を始めるときに、これを料理にして売り出そうと。

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――そうだったんですね。かなり計画的。

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本家から豆腐を仕入れるという形で始めました。本家は今では豆腐製造を辞めています。昔は井手酒造さんの前あたりにあったんですよ。

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えー!そうだったんですね。知らなかった。昔は嬉野に豆腐屋さんがもっとたくさんあったんですか。

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ありました。江戸時代の地図にも載っているのを見たことがあります。江戸時代から、嬉野には豆腐があるんですよ。

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どうして嬉野に豆腐屋さんがたくさんあるのか

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――嬉野には昔から豆腐屋さんがたくさんあったんですね。嬉野で温泉湯どうふが流行ったから、後に続けとばかりに乱立したのかと思っていました。

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嬉野は大豆の産地ですからね。また、嬉野には昔から旅館がたくさんあって、朝食には豆腐を使いますよね。あと、本家では昔の嬉野海軍病院、今の嬉野医療センターの方にもたくさん豆腐を納めていたんですよ。だから、ある程度の量が必要だったんです。

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――そうだったんですね。嬉野は豆腐が身近な存在だったのか。

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まあ、旅館といっても当時はそんなに大きなものではありません。もともと嬉野は湯治場でしたからね。湯治場は寝床はありますけど、食事は自分でつくらないといけないんですよね。そういうところで、豆腐は重宝していたんです。

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――豆腐だったら簡単に食べられますもんね。湯治に来られた方が簡単に食べられる食べ物として、ニーズがあったんですね。

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当時の豆腐屋さんは今とは全然違っていたんですよ。今はある程度機械化されて、ボイラーとかありますけど、当時の燃料はおがくずでした。だから、じわじわとしか燃えなくて、ものすごく時間がかかるんです。百丁つくるのに、一日がかりだったんですよ。

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なかなか人気が出なかった「名物湯どうふ」

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「名物湯どうふ」は、創業してすぐ人気商品になったんですか?

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いやいや。創業してずーっと人気は出ていなかったですよ。知名度も全然ありません。私が継いで2年目か3年目くらいに新聞に取り上げられたんです。

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その新聞がきっかけで、お客さんが来るようになって、いろんな取材も来るようになって、徐々に知られるようになっていったんですね。

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私はこの店を継いで3代目なんですよ。初代は父、2代目は母です。父は早くに亡くなったので、温泉湯どうふがこのような存在になったことは知らないんです。

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――なるほど。そうだったんですね。ここ30年くらいの話なのか。

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新聞に出て、テレビに出て。そして「美味しんぼ」に出て。そこから、流行り始めました。「美味しんぼ」が大きなきっかけでしょうね。

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ターニングポイントとなった「美味しんぼ」掲載

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宗庵よこ長が掲載された「美味しんぼ」39巻

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美味しんぼの作者である雁屋哲さん、嬉野取材にいらっしゃった際に、大村屋に泊まっているんですよ。当時の色紙がうちに残っています。湯豆腐を食べる店は近くにないかと聞かれ、「よこ長さんがありますよ」と父が教えたんだそうです。

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当時の色紙

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あ~、そうだったんですね。その時はスタッフ含めて6名くらいで食べに来られて。びっくりしましたよ。その時は、湯どうふの取材じゃなかったんですけどね。

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――えっ!?「美味しんぼ」は、もともと湯豆腐を載せる予定ではなかったんですか?

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もともとは無農薬でお茶を栽培している農家さんへの取材だったと思いますよ。それで「お昼ごはんを食べるとこない?」って感じで、うちにいらっしゃったんです。

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この味に感動されたから、予定が変わって掲載されたということなんですね。

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――「味」で掲載を勝ち取ったということですよね。

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結局、お茶は載ってないですもんね!

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そうです。笑 その時は取材じゃなかったから、後から連絡があって、私が湯豆腐の写真を撮影して送ったんですよ。

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あれこれしてたら、2か月もしないうちにビッグコミックスピリッツに載ってまして。

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――載っていることは本誌を読んで気づいたんですね。

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まさか自分たちが漫画になると思わないので、びっくりしましたよ。ちょうどその時、息子の剣道の試合で日本武道館に行ったことがあって。そこの売店にスピリッツが売ってて、中を見たら載ってたんですよ。「全国版のものにホントに載ってる」と実感しました。

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けっこうなターニングポイントですよね!嬉野の名を広める大きなパワーなのは間違いないです。

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――よこ長さんが新聞やテレビに出たり、美味しんぼに出たり、っていう流れがないと、今のように「嬉野と言えば温泉湯どうふ」という状況はないわけですもんね。

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これがなかったら、まちとしても「もっと湯どうふを推していこう」とならなかったかもしれません。

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宗庵よこ長の「オリジナリティ」

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創業当時から、湯どうふ自体に味がついているというのはこだわりなんですか?

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はい、創業当時からですね。

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けっこう難しいというか……。新しかったと思うんですけど。家庭ではシンプルに溶けた豆腐にごまだれやいろんな薬味をつけて食べるというのが普通だったところに。

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ちょっと先を行き過ぎたんですよね。笑

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めちゃめちゃ早かったと思いますよ。今でもよこ長さん以外で、湯どうふ自体に味がついているお店ってないんじゃないですか?マネできないですよ。

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――ぼくもいろいろな湯どうふを食べた後でよこ長さんの湯どうふを食べたので「新しいな」と思いましたよ。元祖なのに。すごいオリジナリティ。

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父が始めた当初はもっと湯どうふにたくさん種類があったんですよ。たとえば鯛のダシが出た温泉湯どうふとか。ほかにもたくさんありました。

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――おだしもそうなんですが、豆腐のとろけ具合も独特だなと思っていて。嬉野の温泉湯どうふって、「トロトロ」のイメージなんですが、よこ長さんは「フワトロ」って感じ。豆腐の食感が残っている。

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つかめないくらいトロトロになってしまうと、豆腐自体を楽しめなくなると思っているんですよね。箸でもつかめるような状態にするようにしています。

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――ほかのお店だと箸ではまず無理ですもんね。


どんな豆腐でも溶けて美味しくなるわけではない

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――ぼく、じつは嬉野の温泉水を持ち帰って、安売りの40円くらいの木綿豆腐で湯どうふしたら、どうなるんだろうって、試したことがあるんですよ。そしたら、あんまり美味しくなくて。食べれるけど、嬉野の温泉湯どうふとは全然違う。

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温泉水を持って帰ってもらったんですよね。あれ、美味しくなかったんですね。笑

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――とろけ具合が良くなくて。表面は若干とろけるんですが、中はいつも食べてる普通の豆腐の食感と一緒。中までトロトロにはならない。

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大量生産の豆腐は機械でつくるので、その関係でけっこうかたいんですよね。それで溶けにくいんです。

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――なるほど、そういう側面があるんですね。あと、温泉湯どうふ用の豆腐だと白くてきれいな煮汁になるんですが、安売りの豆腐はなんだか黄色っぽい煮汁が出て。

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分かりにくいが若干黄色っぽくなる

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外国産大豆を使うとそうなります。外国産大豆は粒が小さいので、大豆の皮の成分が多めに入ってしまうんです。だから黄色くなるんです。

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――そうだったのか!この疑問が解消されるとは。スッキリしました。笑

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嬉野産、佐賀産の大豆は粒が倍くらい大きいんです。その大豆を絞ると、皮の成分よりも中身の成分がたくさん出る。だから白くなるんです。色が全く違います。

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――味もなんか風味が劣るんですよ。

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コクがないというかね。そんな感じになりますね。

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やっぱり温泉湯どうふ用の豆腐がいいんですね。

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温泉湯どうふ用の豆腐は、つくり方で微妙にコントロールをしないといけない部分があって。そんなふうにつくるには、最低2~3年の修行が必要だと思います。そう簡単につくれるものではないんですよ。

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嬉野に温泉湯どうふがある価値

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――現在、各地で「ご当地グルメ」を半ばムリヤリつくったりする状況がある中、嬉野の温泉湯どうふは自然な存在ですよね。

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嬉野にもともとあるものですからね。それはものすごい強みです。

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もともとあったものを、さらに進化させて、時間をかけてブレイクさせたんですよね。

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――温泉も豆腐も、もともと嬉野にあったものですもんね。ここじゃないとできないものがしっかり合致している。

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このへんが大豆の産地だったことと温泉。嬉野は温泉が昔から豊富でした。

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――「温泉水を調理に使う」という行為は、昔からあったんですか?

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いや、調理にはほとんど使わないですよ。温泉水ってものすごくクセがあるので、普通の調理には使えません。たまたま、豆腐には合ったというだけです。

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――「そんなことあるの?」って感じですよね。調理に適さない温泉水が、嬉野でさかんにつくられていた豆腐には合うなんて。

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ほかの温泉地でも、こういう「温泉湯どうふ」ってあるんですか?

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あるにはあるんですけど、嬉野みたいに溶けませんね。溶けているところは、人工の調理水で溶かしています。

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嬉野温泉の温泉水は、そのままでも溶けますからね。絶妙なバランスですよね。溶け過ぎてもだめですし。

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それが不思議なんですよね。天然の温泉水でできてしまう。私は実験したことがあるんですよ。あっちこっちの温泉で湯どうふをつくったんですけど、嬉野温泉しかいい塩梅(あんばい)にはならない。

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――ネットで重曹でやると溶ける、というのも見たんですけど……。重曹だと溶け過ぎちゃうというか。

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研究するといい塩梅(あんばい)にできるかもしれませんが、天然の温泉はさまざまな成分が入っていますからね。

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――泉質だってすごく繊細なもので、長い年月で変化することもあると思うんですよ。ずっとこのとろけ具合が出せる温泉が湧き続けているのは凄いことですよね。

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いろんな要因が重なって、この奇跡的な温泉が嬉野に湧いて出てきているということですね。記述によると、もう1300年は湧いて出ている。

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かなり強力なエネルギーが地下にあるということですよね。

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この温泉じゃないと、湯豆腐をつくれないというのが凄いですよね。ニューヨークで一度佐賀をPRする機会があって、湯どうふを持って行こうと思ったんですけど、検閲で温泉水が持って行けなくて。

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――あぁ~、そうか。飛行機で運べない。

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温泉水って輸出も難しいし、飲料水としても売れないでしょう。だから、ホントの「温泉湯どうふ」って、嬉野に来ないと食べられないんですよ。

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――それって凄いことですよね。

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とろける温泉湯どうふ「っぽい」ものはつくれるけど、天然の温泉水で溶ける湯どうふを食べるというのは嬉野じゃなきゃ無理なんです。これは観光地としては、すごい武器だと思うんですよね。

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――これ以上ないですよね。

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ただ、「温泉湯どうふ」の美味しさを知ってもらうためには食べてもらわないといけないんですけど。強みでもあり、弱みでもあるんです。

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嬉野から世界へ!温泉湯どうふを海外進出させたい

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――今後、嬉野温泉の湯どうふをどのように発展させたいとお考えですか?

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豆腐はもともと、中国から伝わった食べ物です。ベトナムやタイにも豆腐文化があります。私はこの豆腐は世界に通用すると思っています。海外に広めたいですね。

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世界的に見ても溶ける豆腐料理って、あるんですかね。

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豆乳はありますけど、その豆乳と豆腐を一緒に食べるというのは、ちょっと見かけないですもんね。西洋圏は大豆製品にあまり惹かれないんですよ。「家畜のえさ」とか「靴下のニオイ」なんていうイメージがあるほどで。

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――へー!そうなんですね。

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だから西洋圏はかなり厳しい気はします。でも「健康に良い」ということはわかっていますので。おいしい健康食品として、海外の方にも知ってもらえたらと思いますね。

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嬉野市民は温泉湯どうふを本当に知っているか

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――嬉野市民の方々って、日常的に温泉湯どうふを食べるものなんですか?

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名前は知ってるけど、食べたことはないという嬉野市民は意外と多いと思いますよ。一歩引いて、ちょっと遠くから見てる人が多いような。

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そうなんですよね。昔は家庭でも出てたと思うんですが、今ではそういう家庭が少なくなっているかもしれませんね。スーパーでは温泉湯どうふの調理水や豆腐が売ってますけど……。

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売ってるけど、観光客の方がお土産にたくさん買っていく感じですよね。

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地元の人もたしかに、ほかの地域よりかは湯どうふの機会は多いかもしれないけど、実際そこまで定番というわけではないのかな、と。給食に出してほしいですよ。

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――湯どうふが観光客だけのものになるのはもったいないですよね。こんなに歴史あるものなのに。

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もともと日常だった湯どうふが観光化されてきて。市民との距離ができ始めているのかもしれないですね。ぼくはやっぱり旅館で育ってて、温泉が身近にあるから。「寒い日の朝を湯どうふで」なんていう日常が小さな頃からありました。

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――息子さんにもうかがいたいんですが、どうですか?嬉野の人たちにとって、温泉湯どうふってどんな存在なんでしょう?

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宗庵よこ長 店長 小野原健さん

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社会科見学で来た子どもたちとふれ合うと思うんですが、意外と知られていないなと。地元の子どもたちに浸透していないように思うので……。次世代につなげるには、やっぱりまずはそこからだと思いますね。

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「名物」と言っているのに、地元の人と喋ると「普段は食べてないよ」と言われると、ちょっとがっかりしますもんね。

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嬉野の外へ発信していくことも大事だとは思うんですが、まずは内側を固めることが重要かなと思いますね。

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温泉に関してもそうで。たとえば、別府には市民浴場みたいなものがたくさんあるじゃないですか。嬉野にも公衆浴場はあるけど、嬉野の人がいつも温泉に入っているわけじゃないんですよね。もっと温泉に市民が気軽に入れるようにしたいんですよ。月に一度は市民デーなんかにして。

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ああ、そういうのいいね!嬉野の人が温泉について基本的なことは知っておいてくれるといいなあ、とは思います。

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学校の授業に入れてほしいですよ。「嬉野学」みたいな。住んでる街のことだから。今、親世代が知らなかったりもしますし。だから、子どもにも伝わらないし、それでだんだん知られなくなるっていう。

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――前回の記事でもありましたけど、嬉野高校の観光課の生徒でさえ、入学当初は「嬉野には何もない」と言うとのことで……。

前回の記事

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当たり前すぎたんでしょうね。内側に対して発信ができていなかった。観光客の皆さんの方が嬉野について詳しいかもしれませんね。

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――嬉野市民でも嬉野の温泉街よりも、湯布院の温泉街に行った回数が多いという人はいそうですよね。

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たしかに。なかなか地元の旅館になんて行くことがないから。

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灯台下暗しですよね。目の前に良いものがたくさんあるのに、遠くばかりを見られてしまっていますね。

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これからも地元の人たちにもっと嬉野を好きになってもらえるように、頑張りたいですね。

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――壮大な歴史ロマンに加え、未来の課題も見えていいお話になりました。みなさん、ありがとうございました。


温泉湯どうふの未来は「地元」に懸かっている

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第一回の「嬉野温泉 暮らし観光案内所」の記事で「湯どうファーを自称する人物はヘネシー吉川さんしかいない」と教えてもらったのを思い出しました。

美味しい。健康に良い。安い。嬉野でしか食べられない。これだけのイイ要素が揃った食べ物もなかなかありません。嬉野市民が口々に「お気に入りの湯どうふ屋さん」とか「我が家の湯どうふ定番タレ」なんて話で盛り上がるようになれば、温泉湯どうふの未来はもっと明るくなるのかもしれませんね。

宗庵よこ長さんの湯どうふは通販でも注文できます。嬉野に行けないという方は、ぜひ公式サイトから注文してみてくださいね。

「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。



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