自分とした小さな約束だけは凛として守り続ける。
先日、久々に体調が悪くて終日布団で過ごした日に『愛がすべてさ。』という記事を書きました。この記事の中で、このような一文を綴っています。
今日は、体調があまりすぐれずにほとんど寝て過ごしました。(スマホでいろんな記事を読み漁ってた)
そのまま寝て明日の朝を迎えたい気持ちもありながら、短くてもnoteを更新せねばとパソコンの画面と向かい合っています。少しでも文章を書いてインターネットの世界に公開していくこと。これだけは毎日続けていきたい。この気持ちもある種の愛なんだろうと勝手に解釈していたりします。
しかし、この一文を読んだ知人(いつも読んでくださっているらしい)から「無理して更新したと思ってしまい、ちょっと悲しくなる」とコメントが届いたんです。
今日はこのコメントを読んで感じたことを書いてみようと思います。
意図せぬ伝わり方をさせてしまった反省。
まず第一に浮かんだのは、正しいニュアンスで言葉を届けられなかった自分への自戒でした。日々の気づきや感じたことを綴っているだけの日記的な記事にも関わらず毎日読んでくださっている方に、少しでも悲しい想いをさせてしまった。そのことへの強い反省の念を抱きました。
本当は「更新しないと気持ち悪くて寝付けない」という意味で書いたんです。3ヶ月近く毎日投稿(あの記事の時点で81日連続更新!!)を続けていますし、義務感ではなく書かないとムズムズする感覚があるので、書かずには寝れなかった。
でも、だからこそ、意図しない伝わり方をする表現で公開ボタンを押してしまっていたことに悔しさを感じてしまいます。ちょっとでも意識すれば防げていたと自覚があるから、余計に自分の未熟さに腹が立つ。
書かないとムズムズするのは、自分との約束だから。
で、コメントを返した後、そこからもう一歩踏み込んで「なぜ書かないとムズムズするのか」ということを考えてみたんです。
そこで、ふと読み返してみたのが、1月3日に更新したこちらの記事。
自分の中にこの分野で自信を持てるだけの根拠となる実績がないことにコンプレックスを持っていたんです。
だからこそ、積み上げた数字を持ちたいなと。毎日文章を書いてきた、年間で何万字の文字をタイピングしてきた、という数字を自信に変えたいなと。
記事の中で書かれていたこの部分を読んで、「自分との約束を破りそうになったからムズムズしたのかもな」と、そんなことを感じました。
『積み上げた数字を持つために毎日noteを書き続ける』と2019年の年始に自分と約束した。その約束を凛として守り続けたい。
そんな気持ちが僕の中で強く芽生えているんだなと。
終わりに:自分とした小さな約束だけは。
実を言うと、僕自身は約束を破られることが意外と好きだったりします。
いや、正確に言うならば、自分自身も約束を破ってしまうことがあるからなのか、他人に対しても最初から破られる前提で約束をしている淵がある。
(そして、予想の斜め上な約束の破られ方をすると「こいつやるな!」と嬉しくなったりするんです。変態かもしれません。)
だけど、この1年で【愛】について考える機会が増えてきた中で、『愛し続けようと自分で決めたら凛として守り続ける。その姿勢こそが美しい』と、そんな感情も自分の中に芽生えてきています。
だからこそ、自分として小さな約束だけは、譲りたくない。
そうやって、守り続けたい愛をひとつずつ人生に宿していけたらなと。
今日の記事は以上になります。今日こそは、読んでくださった方の中に何かしらプラスの感情が浮かんでくれていると嬉しいです。
では、またあした〜!