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愛し続けることは「覚悟」であり、愛され続けることは「努力」である。

会いたい人に自由に会えなくなって久しく経ちます。オンライン通話を誘いやすくなったとは言え、以前のように長い時間を共有することは難しくなってしまいました。

そんな状況が続く中で、ふと思ったことがあります。それは「愛され続けること」についてです。


去年(2019年)は、「愛し続けること」について考える1年を過ごしていました。過去には、『「一生、愛し続ける」と決めるところから、スタートしてみよう。』や『好きな人に好きな人がいることを幸せだと思えるようになると、人生はずいぶんと楽になる。』などという記事も書いています。

これらの思考の繰り返しを経て、「愛し続けることは自分の覚悟次第だ」という自分の中での結論に至りました。

言い換えれば、相手の幸せを心の底から願うという覚悟さえ決めてしまえば、愛し続けることはそこまで難しいことではないなと。


ただ、愛され続けることはどうなのでしょう?
これも覚悟でどうにかなる問題なのか・・・?


そんなことを考えたのは、現在休業中の店舗について思いを馳せたときのことです。たとえば、僕の関わっている「ゲストハウスMARUYA」は、5月末までの休館を決めています。この状態が続いたとき、コロナ前にMARUYAを愛してくれていた人たちは、果たして再開時まで愛し続けていてくれるのだろうか。それが「愛され続けること」を考えるきっかけでした。


どうしたら「愛され続けること」ができるのか、僕の中でまだ腑に落ちる結論は出ていません。ただ、少なくとも愛し続けることとは全く異なる「努力」が必要になりそう、というだけは漠然と見えてきています。

その努力は具体的にどういうものなのか。今年はそんなことを考え続けることになる気がします。

全く結論じみたものはないですが、皆さんの「愛され続けるための努力」を教えていただけると嬉しいです。


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というわけで、今日の記事は以上になります。
最近は早めに起きて軽い運動をする習慣が少しずつ身についてきたんですが、夜0時前になると猛烈な睡魔に襲われるのがキツいです。

では、またあした〜!

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