1年前の記事から「雑談」の価値を再定義しておく。

世界的にテレワーク推奨がいきなりグッと進んで、多くの人が感じ始めているのが【雑談の価値】じゃないかなと思います。

どれだけ「ソーシャルディスタンス」を言われても、ぼくら人間は「社会性」を無くしては生きていけない生き物で、その根幹には「コミュニケーション」という名の雑談が必要なのでしょう。


時に「Zoom飲み会」、時に「インスタライブ」、時に「LINE通話」、、、

様々な方法を駆使しながら、コロナ時代を乗り越えるための「雑談の形」をそれぞれ模索する日々が続いていく気がします。


今日で522日目の毎日投稿になるぼくは、日々綴る記事の中でも何度か【雑談の価値】についても言及してきました。

個人用のSlackで検索してみると、最初は 2019年2月9日 の『個人の時代だからこそ感じる、何気ない雑談の重要性。』でした。

この中では、このようなことを綴っています。

個人で活動をする上で『何気ない雑談の重要性』は忘れない方がいいことなんだと感じます。一見無駄な時間に見えて、本当はすごく大事な時間なんじゃないかなと。

ひとりで仕事をしていると忘れがちだけど、ひとりでも仕事ができるからこそ忘れずにいたいこと。それが何気ない雑談。

1年以上前に書いたものですが、このときから雑談の重要性を感じていたことがわかります。


続いては、 2019年2月25日 に更新した『雑談しながら散歩をすると頭がクリアになる。』でも、雑談について言及しています。

この記事の中では、

その話を座って聞く(する)のではなく、「開放感のある屋外で歩きながらすること」に強い意味があるんだろうなと。というのも、同じ話を座ってした場合、きっと細かな部分が気になってしまうと思うんです。

ですが、屋外を歩くことでちょうど良く視覚的な雑音が入ってくる。この適度な視覚的雑音が「大筋」だけを脳に届かせて、適度な気づきを与えてくれるんじゃないかなと。

と書いていましたが、これは今日も散歩をしながらLINE通話をして良かったなと思ったことのひとつでした。


ちなみに、ちょうど1年前ぐらいの 2019年4月12日 には『最近の悩みは「雑談が足りてないこと」だったりする。』という記事も書いていたようです。

これから先、ウィズコロナ/アフターコロナの時代になっても、人として生きる以上は【雑談】の価値は忘れてはならない部分なんだろうなと。

だからこそ、テレワーク化を進めている企業は、これまでのタイムスケジュール通りに仕事させるのではなく、ランチ後などに長めのバッファー時間を作ることで「オンラインで雑談する時間」をうまくデザインしてみてください。きっと、その時間がスタッフのメンタルケアに繋がるはずなので。


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というわけで、今日の記事は以上です。
僕は、本を読んで、ブログを書いて、雑談をして、デートをして。そんな人生にまた戻せるように、頑張っていこうと思います。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
≫ 個人の時代だからこそ感じる、何気ない雑談の重要性。
≫ 雑談しながら散歩をすると頭がクリアになる。
≫ 最近の悩みは「雑談が足りてないこと」だったりする。


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