見出し画像

旅情奪回 第三回: 王子と哲学者

 「旅をしない旅好き」、という人たちだって世の中には存在するだろう。その理由はさまざまであるし、旅に行かないから旅好きを名乗ってはいけない、というものでももちろんない。ここに、歴史に名高い二人の「旅をしない旅好き」がいる。
 大航海時代の先鞭をつけ、それを切り拓いたポルトガルの探検家にして航海王子・エンリケの名を知っている人ならば、雄々しいその経歴や伝説、遥かなる黄金時代の栄光を讃えるリスボン市内の名所「発見のモニュメント」の彫像群の中にあって勇ましく先頭に立つ王子が、大航海のパトロンにはなっても、ただの一度も海に出たことがなかったことを知っているかもしれない。
 定かではないが、一説に王子は船酔いしやすい体質であったと言われている。酔い止めの薬などなかった時代である。王子は、自らは海に出ることなく、航海術や地図作成を奨励し、また航海学校を自ら作って、天文学や航海術を研究、探検を指揮したという。その意味で、O Navegador(the Navigator=ナビゲーター)というよりは、旅のディレクターやコンダクター、コーディネーターと呼ぶ方が正しいのかもしれない。
 一方、ドイツの大哲学者・カントは、ただの一度も生まれ故郷のケーニヒスベルクを出たことがなかったが、机の上で、欧州世界の当時の主要都市のありとあらゆる様子、路地の所在に至るまで、まるで見てきたかのように正確に説明することができたという。
 「書斎派の旅人」とは形容矛盾のようだが、そのような言い方があるならば、まさにカントはそれそのもので、いうなれば、昨今スマホやタブレットで世界の情報を集めて旅に行った気になってしまう人たちの大先輩なのかもしれない。確かに、カントにはどこか、最新のテクノロジーを駆使して情報戦を戦うオタク気質が感じられる。素質としては、世が世なら、ノマドワーカーならぬノマド哲学者になれたかもしれないが、もし彼が物理的・身体的な旅をしていたら、彼自身の哲学的なスタンスは後世評価されるものとは大きく異なっていたに相違ない。
 さて、15世紀の王子と18世紀の哲学者、三百年の隔たりがある二人に、なにか共通する旅の流儀があったはずなどないだろうが、本当はこの二人も、地図と望遠鏡を手に大海原に漕ぎ出し、あるいは難しい考え事や規則正しい“道徳律”的な生き方など放り出して、自由に世界を見聞したかったのではないか、などと夢想してしまうのはセンチメンタルに過ぎて、「彼らの旅」を尊重していないとでも叱られてしまうのだろうか。(了)
*(20190515執筆)

旅情奪回-3


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?