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旅情奪回 第四回: 移「食」住。

 移住といえば、それは自身のみならず一族の命運を背負い込んだ「覚悟の決断」というイメージをいまだに抱いてしまうのはあまりに時代錯誤なのかもしれない。近年は、ショートステイなどという便利な言葉も流通して、子育ても手を離れ、あるいは仕事も一区切りついて、自由な時間の中で夢をかなえたいと、気軽に期間限定の移住をする人も多いと聞く。
 ちょうど沖縄でサミットが開かれる2000年前後、私は仕事もあって、それこそ沖縄に期間限定で移住していたわけだが、あの時期、日本全国に広がった沖縄ブームは群を抜く勢いがあって、沖縄地方への移住を計画し、あるいは実行した人も相当数いたようである。
 転校にせよ、転勤や異動にせよ、生活環境が変わるだけでなく、移った先が明らかに一定期間以上拠点になる、というプレッシャーは、誰にとってもそれほど嬉しいものでもない。移住に関して世界的に見れば、戦争や政治的な理由などにより“望まない旅”を余儀なくされた結果として、というケースはあるにしても、そうでない限りは、あくまで最終的には家族や自分の意思で生活環境を変えるわけだが、そうであっても「水が合う、合わない」というのは少なからずあるものだ。
 かくいう私も、それを移住だと分からない年齢でブラジルに渡り、四年近くを過ごした身であるが、幸いにして彼の地は今も懐かしい、愛すべき故郷である。そして、数えるほどの移住経験であるにせよ、ブラジルであれ沖縄であれ、そこに住めるかどうかの決定打は「食事」にある、と確信している。
 食は、毎日のことであるだけでなく、その土地で暮らす上での重要かつ強力なメディアだ。その土地の食を囲んで、人は集い、和し、情報も飛び交う。旅人的な感覚で、今夜限りはこの珍しい料理をいただきます、などと呑気な構えで胃袋に収めるのではまったく物足りない。「決めるなら、まず味覚と胃袋を先に移住せよ」とは、移住ありや否やを問われれば常々口にしていることである。移住の真ん中に「食」あり。食事が口に合う土地ならば、おそらくそこでの人間関係もよりスムーズになるのではないだろうか。人間関係を作れない土地で暮らすのは移住ではなく、よそ者の居候であり、きっと苦痛に違いない。
 ところで、若きバックパッカーを経て成熟した旅巧者になるほどに、旅の魅力を語る上では、名所めぐりや名物・土産より先に、宿泊場所と食事の質が問われるとよく言われる。移住とは異なり、旅先での食事は、日常ではなく非日常的な感動の対象である。口に合わなくても、「ほぅ」となればそれで良いし、旅先でなければ口にするチャンスはなかったな、と思っていた料理の虜になってしまうこともある。その逆に、旅なのだから何が来ても受け止める、という覚悟で臨んだ料理の“塩対応”に肩すかしを食らってがっかりさせられることだってあるだろう。
 食事の好き嫌いや質も含めて、旅の思い出として気ままに「つまみ食い」し話題にできるのも旅ならでは、そこで暮らすわけではないからこそ、なのだ。(了)
*(20190626執筆)

旅情奪回-4


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