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There's no freedom like traveling. ─旅より素敵な自由はない

 ペストの歴史は古く、古代ギリシャにはすでにその存在が記録され、あろうことか今でいう生物兵器として戦争にまで使われたともいわれている。ローマ帝国下でもペストは猛威を振るったし、ヨーロッパ最大の疫病で、のちに呑気な人が「人口激減が命の生々しさと儚さを教え、あるいは社会の構造を激変させ、人間賛美への回帰、つまりルネサンスを準備した」などと語る14世紀の「黒死病」のパンデミックでは、ヨーロッパの人口は半減した。ペストはシルクロードを通じて、あるいは航海術が成熟してくるとやがてネズミらを介して海路からももたらされた。新型コロナウイルスまでは、ウイルスといえばもっぱらインターネット上のことで、こちらはratではなく「マウス」を媒介していたわけだが。
 ペストに限ったことではなく、人類は絶えずウイルスや細菌という目に見えないものと闘ってきた。願ってもなかなか平和的に団結しない「世界」という混沌が、あたかもSF映画のように結束するのは、こうした「人類共通の敵」が現れた時だけかもしれない。あるいはこの期に及んでも、かえって争いが激化するのかもしれない。はじめてのことと出会う時、その人やその国、その文明の知性が試される。非生物の新型コロナウイルスが、生まれついての非情さで私たち生物を試している。
 ここで時事的なことを語るつもりはなかった。別の原稿も何本か書きかけていたが、筆が止まってしまった。今にして思えば、一定のルールとマナーの翼の下であれば、いつでも、どこにでも出かけて行くことができたということはなんと胸踊ることだったのだろう。仕事や用事で外出するのでさえ、今この瞬間では貴重だ。まして旅行ともなれば、それは決して当たり前のように享受できる自由ではなかったのだと気づく。ドイツのメルケル首相は、コロナウイルス対策にあたっての演説の中で、世界大戦や独裁政治という昏い人類の過ちを念頭に「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利」であり、民主主義社会において簡単に制限してはならないものと言及することで、この非常事態の決定の重さを説いていた。
 なるほど、旅する自由というのは他の自由と違わず、そもそも先人の苦労と戦いの中で獲得した命がけのトロフィーに他ならない。そう、「当たり前の自由」など、古今存在しないのだ。
 緩やかな、拘束力なき制限とはいえ、こうして気軽に外出することもままならなくなって自由を取り上げられてはじめて、そんなことに思い至る。
 そうしてまた、書きかけた原稿の筆が一向に進まない、という行(くだり)に立ち返ろう。旅には旋律があり、跳躍があり舞踏がある。あるいは傷心があり、落涙があり、落魄がある。彷徨があり、逡巡があり帰還がある。送り出す人があり、待ち迎える人がいる。命の交歓がある。家を一歩出て後ろ手に鍵を閉め、またここに帰ってくる間に、人は情動の渦にやわらかく、時に激しく揉まれるのだ。
 日常の中に旅情はない。この閉塞感や退屈をしのぐポジティブな工夫やアイディアが心ある人たちからいくらタイムラインに投稿されても、それらはまた別次元の話で、日常の中に旅と同じような情動を見つけることなどできやしない。そう。「これ」こそが、人が長い時間をかけて旅を続けてきた最大の理由ではないだろうか。
 旅情のない生活の中で、このテーマで筆を執ることは気が重い。しかし、一日も早く人類が、あの歓びをふたたび手にする日の来ることを祈りつつ、この身に残る旅の記憶を手繰りながら原稿を書き続けることとしよう。(了)
*(20200421執筆)

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