見出し画像

本づくりこそ、最古のシステム設計である。

しばらく間が空いたように感じる。最近何をしていたかといえば、自費出版される方の本作りに、実に十数年ぶりに携わっていた。

今は自費出版の窓口もたくさんあるし、電子出版という選択も便利で面白い。ネットを検索すれば、私より経験豊かで優れたエディターがネット上にたくさんいるのだから、そうした情報からよく選んで決めたらどうか。私は、なんとなくアドバイザーとしてならば関わっても、とやんわり断ったつもりだったが、きわめてプライベートな内容からしても、できればよく知っている人にお願いしたいということで、結局引き受けることとなった。

私がこの世界に入った2000年頃は、ちょうど自費出版ブーム到来のまさに前夜で、やがてすぐにDTPとオンデマンド印刷が導入されて、自費出版は一大ブームを迎えた。
私の祖父は、まだこうした技術が登場するはるか昔に、随分と大掛かりな方法で一族の歴史をまとめた本を自分で出版し、形見分けのようにして家族に渡していた。
当時私はまだ高校生くらいの年頃だったと記憶しているが、その出版が、途方もない労力によって作り上げられたものであることはよくわかっていたつもりだ。
なにしろ、ライターを立てながらも、すでに高齢だった祖父が自分の足であちこちを取材してまわり、本家から分家、菩提寺から姻戚関係にいたる隅々までインタビューをして自ら執筆した本だったので、単なる好奇心だけではなく、なにか大きな責任感に駆られての大事業だったことと思うのだ。

話を戻す。自費出版ブーム当時、私も印刷会社や出版社と契約を結んで、ずいぶんと自費出版のお手伝いをさせてもらった。原稿執筆や編集はもちろんだが、それだけでなく造本にも携わったのだが、この時はじめて書籍について業界の側から勉強することができた。今して思えば、大変貴重なよい経験となった。
本の造りから作り方まで。そうしたことを学ぶ中で、自費出版や私家版ばかりを集めた特別な倉庫などに連れて行っていただいて、目にも彩な豪華本や、現代にもこのような数奇者がいるのかと驚くような皮装丁の分厚い本など、書店や図書館ではまずお目にかかれない珍本の数々を見せていただく機会にも恵まれたりした。

Amazonがまだ洋書屋さんで、ブラウザはNetscape Navigator。ブログ未登場、モデムの騒音の後でしかメールができない時代に、自費出版に興味ある層とデジタル技術のリンク度が低かったこともあって、仕掛けられたブームの割に一般消費者にとって自費出版文化のハードルは高かったように感じる。
あの頃、パソコンで完全原稿を作成し自費出版するというのは、出版社や印刷会社が思うほど気軽なものではなかったのだし、それゆえプロの編集者やライターをセット売りすることこそがキャッシュポイントだったわけだ。

そうした、ブームと実態のズレもあって、私の仕事の場合は比較的ご高齢のクライアントが多かったが、自費出版をされる方というのは大体面白いエピソードをお持ちの方や趣味人が多く、取材をしたり執筆を通じて、たくさんのことを教えていただいた。仕事の仕方、遊び方、人付き合いの流儀、日本の高度成長を陰で支えた力持ちたちの物語…。

特に、うんと年上の方に可愛がっていただき、本を出版したあとも長く交流が続くことも多く、食事をしたりお酒を飲んだりといったお付き合いをさせていただいたケースも少なくなかった。
そうした中で、二冊目、三冊目を出版される方もおられ、果ては自作の小説のモデルにされたこともあった。作品の中の私は、現実の私とはかけ離れ、粋で女性にもモテるという設定で、当の本人が恐縮してしまう男ぶりであった。
中には、しっかり出版パーティを毎度開かれる方もおり、若造が出ていって万座の中で慣れないスピーチをしたりして冷や汗をかいたりもした。

さて、個人の出版物としては実に15年ぶりに本づくりをしてみて、造本というのはつくづくエンジニアの仕事だと感じる。
デジタルフォーマットには相応の流儀やテクニックがあってこそ電子書籍や電子出版が成り立っているのだが、同じ本を作るといっても、両者はまったく異なるもので、電子出版のノウハウをダウングレードすれば紙媒体ができあがるというものではない。

当世エンジニアといえば、デジタル世界のイメージが強いかもしれない。しかし、最も古くから存在し、形を変えながら今も存在し続けている造本という営為にかかる技術もまた最古のシステム設計であり、現代的な意味におけるエンジニアとは、並走はするがそれぞれに固有な技術なのだとつくづく思うのである。(了)

Photo by Beesmurf,Pixabay

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?