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世紀末無法者伝説。

風が乾いている。前方を走るバイクの群れが巻き起こす砂埃が、車体や肩当てに当たってチンチンと細かい音を立てる。どこへ行くというアテはないが、目的だけははっきりとしている。とにかく、水、である。永遠など存在しないと重々承知しているが、少しでも長く、一滴でも多く水を確保できる場所、そこだけが目指す場所だ。

部長、いやリーダーが先頭で右手を挙げて、チームは静止する。リーダーが何かを見つけたらしい。見れば、幼い子供を抱えた女性と、ケガをして足を引きずる男性が見える。おそらく家族なのだろう。かつて妻に小言をもらいながら育児に追われていた頃を思い出す。

リーダーが大声で家族を恐喝している。こんなところをフラついているのだ。水など持っちゃいない。むしろ、年端のゆかぬ子のために、水や食料を求めているのは彼らの方だ。なにか気に障ることでも言われたのか、丸太のような腕でリーダーが男の横面を殴りつけた。男は、地面に這いつくばったまま大声で何やら言い返している。その悲痛な叫び声は、隊列の中程にいる私の耳にも届いている。

「救世主だ!救世主が村に現れた…胸に7つの傷を持つ男が、すぐそこまで…」

声を枯らしてそこまでいうと、男は砂に顔を落としうつ伏せに倒れ、傍で女が泣いている。抱いた子も泣いている。
不機嫌になったリーダーは、脇に控えるサブリーダーと何やら小言で相談している。その救世主とやらが気に入らないのか、その村に手負いの家族が向かっていたのだから、そこへ襲撃に行こうか、だいたいそのような内容だろう。

もともとこんなはずではなかった。いや、正直にいえば、リーダーからしてこんな未来を想像していなかったに違いない。あの戦争まで、私だって別の戦争を戦っていた。バブル経済が崩壊し、受験戦争を戦った私たちは就職氷河期とも戦った。
私は設備会社に就職した。職場で妻と出会って結婚した。新婚旅行でたくさんの思い出を切り取った写ルンですが入ったバッグを、美術館で盗まれて落ち込んだりしたっけ。『トップガン』のサントラのCDは何百回も聴いた。Widows95が登場したとき、これで世界は大きく変わるような気がした。ケータイを折りたたむ時のカチャリという音が懐かしい。

やがて子宝に恵まれた。両親はとても喜んでいたっけ。それが今では、髪を高めに刈り上げ、トゲのついたヘルメットを被っている。細かった肩も腕もすっかりたくましくなり、金棒やパイプを振るう掌はタコで固くなってしまった。このナイフで何人の弱者を脅し、この棍棒でどれだけの人を殴ったか。
電話に出る声が小さいと上司に叱られたのも遠い昔のこと、掠れてすっかり太くなった怒声は、汚れた罵声にまみれている。

私の横を走る村上にしてもそうだ。聞けば食品メーカーの開発部門にいたそうだ。運悪く生き残った彼もまた、袖を千切った革ジャンを肌に直接まとい、中世の騎士のようなヘルメットを被っている。
大橋はどうだ?就職活動中に19✕✕年を迎え、ある日を境にビジネスシューズを重たいブーツに履き替えた。足取りは、もっと重くなっただろう。アポの入った手帳など尻をふく紙にもなりゃしない。大橋はバイクに乗ったことがなく、免許がないからと断ってリーダーに半殺しにされた。若者はいつも斥候係で、最初に危険と遭遇する。だから必要不可欠であり、バイクに乗れないことはなおさら不都合なのだ。盗賊団が野営をするたび、私が手ほどきをして大橋のバイクの練習に付き合った。

団内でつるむことをリーダーは禁止しているが、当初仲が良かった河村はゴルフの腕は玄人はだし。あんなに好きだったゴルフのクラブをスパイクで強化した鉄バットに持ち替え、今では人格もすっかり変わって、チームの武闘派として幾多の返り血を浴びている。ローファーを脱ぎ捨てながら、トレンディドラマにでも出てきそうな爽やかな笑顔に白い歯をちらつかせたあの頃の河村はもういない。

大体リーダーにしてそうだ。彼だって戦争前は…いや、止そう。みんな何かを愛し、抱え、懸命に生きていたのだ。それを突然奪われて、こうして日夜荒野を走っている。それぞれの心に去来するものがなにか、今ではもう何も意味がないのだ。
リーダーが向き直って何か言おうとしている。リーダーの親会社の広報室長だった方が束ねる中部隊を一瞬のうちに潰してしまった救世主に復讐をするという。

「とっ捕まえて首根っこを引っこ抜いていやるぅっっっ!!」

リーダーは叫んだ。隊員はみなで鬨の声を上げ右手を天に突き上げる。年末のチーム会議で営業目標とグラフを前に、えいえいおぅ、と三度腕を突き上げる癖が抜けない新井さんがリーダーの傍で殴られた。

リーダーがエンジンを大きく吹かす。さぁ、襲撃の時間だ。しかしこんな荒野のどこを探せば、救世主などと呼ばれる無謀な男が見つかるというのか…。

と、リーダーがアクセルを踏むのをやめた。右手で後続を制した。厚い砂埃の向こうから、一人の男がゆっくりと近づいてくる。まるで行進を遮るように、あるいは抑えきれぬ怒りをいまにも爆発させようとするかのように、両の拳をバキバキと鳴らしながら、男が近づいてくる。旨に、7つの傷をもつ男が…。(了)

Photo by sergeitokmakov,Pixabay

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