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旅情奪回 第七回: 譲れないものを、譲る。

 程度の差はあれ、誰しも、人には譲れないモノやコトがある。それらは、例えば生活習慣だけでなく、生き方の姿勢やポリシー、ジンクスのような、他人には理解不可能な要素で出来上がっているものもある。その人らしさを作り上げている個性の一端であり、同時に縛り付けてもいる桎梏のようなものかもしれない。
 食事ひとつにしても、永井荷風は晩年、毎日「大黒屋」(惜しまれて、2017年7月に閉店)のカツ丼を食べていたし、朝食は生卵二個と決めていたヴィクトル・ユゴーもきっと、毎朝この習慣を励行していたに相違ない。必ず利き足から靴を履くアスリート、曲がったことは大嫌いな堅物諸氏まで、それがいかに些細なことであっても、譲れないものは断固譲れないのである。
 庭園、のことを考えてみる。歴史的に見て、造園という行為の機能の第一は、洋の東西を問わず、一種の景色の切り取りであり、ある場所に身を置くことで感覚できることを、別の場所でも同じように享受できるような空間を作り上げることである。空間の拡張機能を担ってきたのである。はるか遠く都に輿入れしてきたどこぞの姫が、ホームシックにならぬよう、故郷に似た景色や所縁の草木で庭を作り上げたとか、避暑地にいながらにして王宮とよく似た景観を楽しめるよう庭園が整備される、といったことは、まさにこうした空間の切り取りなのであるが、引越しであれ旅であれ、生活の場を変えても、慣れ親しんだ譲れない空間を持ち出すことができたのは、一握りの身分にあった者にだけ許された贅沢であった。
 しかし、である。些かでも日常から離れ、非日常的な感動や発見を求める現代の旅人たちにとって、慣れ親しんだ何かを持ち出し携行することは必ずしも必要不可欠ではないし、かえって贅沢に感じられないかもしれない。
 旅先では様々なことが起こる。手の届くところに何もかもが配置してある日常とも違う。旅先とは、物事の優先順位の付け方が上達する場所でもあるのではないだろうか。
 旅先で、上手に物事に優先順位をつけることは、旅そのものの効率を格段に向上する。そこで、である。日頃から大事にしている「譲れないこと」の数々。果たして、これらのすべてが旅に必要だろうか。目覚まし時計は何度もスヌーズのかかるものでなければいけない(稀なことだが、旅先だからこそできる寝坊もある!)、特別に誂えた枕でなければ睡眠の質が確保できない(新しい何かとの出会いは、心地よく疲れさせてくれるだろう)、大好きな俳優が出ているドラマはあえてリアルタイムで観たい(ドラマの中に自分はいるのだ)、寝る前にいつものビールでいっぱい飲りたい(飲るなら、普段飲めないビールでどうぞ)、旦那と同じ部屋で寝るなんて!(旅先くらい、共通の話題で入眠を)。
 旅というのは、優先順位をつける場であるが、その大半は、譲れないものを譲ることで、思考や行動のマンネリ化をリセットするきっかけでもある。旅の充実のために、そして旅先だからこそ、普段なら絶対にこだわってしまうライフスタイルの癖の優先順位を落として、それらの何が必要で、どれが必要でないかを見直してみるのもいいものではないか。(了)
*(20200224執筆)

旅情奪回-7


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