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読書感想文 『アル中ワンダーランド』

俺は今33歳。
ぶっちゃけると、20代の頃の記憶が曖昧模糊としている
なぜならずっと酔っ払っていたからだ。

幸か不幸か何の因果か、親ゆずりの肝臓は鋼とまではいかないが、アルミ合金くらいには丈夫で、そして俺は飲めば飲むほど陽気に、饒舌になる笑い上戸タイプであったのもまた不幸の始まりであった。

酒について幸・不幸という物差しを使って語るのはとても難しい。

酒が飲めない下戸の友人たちからは「いいなあ」と羨ましがられることが多い。
確かに大人になれば人付き合いの場の半分か、あるいはそれ以上の場合で、そこには酒がある。
冠婚葬祭から職場の飲み会、そして合コンやデートまで、ビールやカクテル片手にということは非常に多く、というか基本で、酒に弱い(あるいは嫌いな)人たちにとっては生きづらいことこの上ないだろう。

更に言うと、我々ゲイの世界はなぜかストレートの男女以上に飲酒カルチャーが根深く、こと新宿二丁目などでは令和の世になっても「ゆかり、飲んでなくない?ウォウウォウ♪」(懐かしい)みたいな悪夢のようなノリが今なお残っており、「ブスなら酒のめ」的アルハラ体制が強固である。あの街で俺のような十人並の容姿のゲイが生き残りたければ飲むか、整形するしかない。
整形する金はないからと飲みまくっていたが、正直あの金で全身整形ができた気がする。そちらを選択していれば今頃俺は佐藤健になっていたはずだと悔やまれてならない。
これは「あの時ゆかりが飲んでいれば…」というもはやどうしようもない後悔に似ているのかもしれない。

飲めない人には辛い世の中だが、しかし同時に飲めるという不幸もまた存在する。

まず金がかかる。
全身整形の話もあながち冗談ではなく「あの金で何が買えたか?」というふとした瞬間湧き上がる想念は、全ての大酒飲みたちの精神を一瞬にして暗い奈落に突き落とす。

そこに合わせ技で、記憶をなくす。
必死に稼いだ金を散々無駄遣いした上に、その記憶がない、という朝を何度迎えただろう。
その度スカスカになった財布を眺めながら「俺はこの財布のように空っぽで、がらんどうな人間だ。俺のような人間には価値がない。社会のためにも死んだ方がいい」と、太宰治と石川啄木を足して割ったみたいなことをぶつぶつ言ったりして、だったら玉川上水にでも飛び込めばいいものを、懲りずにその都度迎え酒で立ち直りながら、今もこうして生き恥を晒している。

そして酒飲みには酒飲みの友人だけが残る(シラフの人はついてこない)という悪循環で、更に酒浸りの日々を送ることになる。
次第に「遊ぶこと=酒を飲むこと」「面白い人=飲める人」という呪いにがんじがらめになっていく。

しかし、そんな俺の目を覚ます事件がある日起きた。

ここから先を読むと「お前結局またぬるい恋愛話でオチつける気かよひねりがねえな」と思われるかもしれないが、全くもってその通りなので先に謝っておく。俺は捻りがなくて恋愛話が好きなだけの軽薄な酔っ払いだ。玉川上水にでも飛び込んだ方がいい。

ある朝、突然左足首の激痛で目を覚ました。
その前夜もやはり俺は友人たちと酒を飲みながら馬鹿騒ぎをしていて、記憶は曖昧だったが、クラブでテキーラを煽りながらシャキーラやジェニファーロペスに合わせて踊りまくっていた(年がバレる)記憶が薄ぼんやりとあり、その時に足首でも捻ったのかしらん、と思って湿布を貼って放置していた。

しかし時間が経つごとに痛みが加速度的に冗談ではない感じになっていき、それはなんというか、足首でリオのカーニバルが開催されていてその集団がサンバに合わせて次第に上に登ってくるような、自分でもちょっと何を言っているのかよくわからないが、とにかくそういう狂騒的な痛みであった。
立ち上がることもままならず、足を床に着くだけで悲鳴が漏れた。
「おばあちゃん…!」と薄れゆく意識の中なぜか祖母の名を呼び、しかし祖母は2年前に亡くなっていたのだと思い出し、スマホから一番上に会話履歴のある男に電話をかけた。

その男こそ、そう、今付き合っている彼氏である。
当時は確かまだ付き合う前で、「可愛いしいい人だけどあんま酒飲まないんだよな〜」と、例の如くアル中らしい低評価を下していたが、しかし何しろ彼は介護士である。歩くこともできなくなっていた俺は彼に抱えてもらい、病院へと搬送された。

レントゲンやら血液検査やら、たらい回しにされた果てに無愛想な医者が下した診断は「痛風ですね」というものだった。
え?痛風って、あのよく太ったおっさんとかがなってるあれ?マジで?俺こんなにスレンダーだし、まだ若いけど?
「最近多いんですよねえ、若い人の痛風。お酒好きでしょ」
「まあ嗜む程度には。骨折じゃないんすか?」
「まあお酒控えて、しばらくは痛み止め飲んで、おとなしくしてて。骨は綺麗ですよ、標本にしたいくらい。はい、じゃあお大事に」
この医者はなんとなくこの病気を馬鹿にしているんだろうな、と思った。

彼の肩につかまってよろよろと歩きながら「ごめんね」というと、彼は笑いながら「慌ててるりょうくんが見れて面白かったからいいよ。でもお酒は本当に控えてね、心配だから」と言った。
その屈託のない、菩薩のような笑顔を見た俺は「マジで酒やめよう。あとこの男がめっちゃ好きだ」と思った。

それからしばらく経って。
生活習慣を徹底的に見直した俺の尿酸値及び肝臓の数値は緩やかに下降。
今もお酒は飲んでいるけど、あの頃のように毎晩記憶が無くなったり、知らない男の家のベッドで裸で目が覚めておまけに怖い名前の性病をももらってしまう、なんてこともない。

俺がかつて「酒も飲まないつまらん男」と小馬鹿にしてた彼という男に、釣り合う人間になりたい、報いたい、という殊勝な思いが俺の目を覚まさせたのかもしれない。
愛は偉大だな(結局それか)

なんてね。
これはここだけの話だが、実はたまーに、彼の見てないところでこっそり、昔からの仲間達と朝までショットグラス片手にクラブで馬鹿騒ぎしたりもしている。正直たまに記憶とお金もなくす。

まんきつさんの『アル中ワンダーランド』もまた、全てのアル中にとって笑えない、そんな失敗談とその顛末が、コミカルに描かれている。
彼女は最終的に「飲まない」決断をした。決別だ。
しかし俺は違う。そうだな、感覚的にはすったもんだあった恋人と「私たち別れてこれからはいいお友達になりましょ」みたいな感じだ。
あなたと熱い時期もあったし、それは一生の思い出だけど、これからは別の人と、別の人生を生きて行くの。さようなら。これからもずっと大好きよ。今の彼が冷たくなったり、意地悪をしたときは、あなたとまた火遊びの浮気ぐらいしちゃうかもね?冗談よ、うふふ。

お祭り騒ぎの20代。確かに失ったものも多かった。
それでも酒は元来は根暗で人嫌いな俺に、勇気や明るさを与えてくれた。時にはもう生きていられないと思うような深い悲しみを癒してもくれた。
それらが一時的な、例え偽りのものだったとしても、その結果手に入れた友人たちや、彼らとの思い出は本物だ。
なんだかうっすらとテキーラの酒毒でもやがかかってしまってはいるが、それらは間違いなく、俺の輝かしい青春の思い出だ。

で、結局酒は敵なのか味方なのか?
元彼は敵なのか味方なのかという問いぐらいわからない。
書いていてオチの付け方がわからなくなってきたのでお茶を濁すために、ここでシメの短歌を一首。

人の世の哀しみ煮詰めた琥珀色僕の涙か君の涙か

実は今、ランチビールを飲みながらこれを書いていました。ごめんなさい。
ビールって、綺麗な酒だなあ。気泡のひとつひとつが、まるでみんなの涙みたいだ。

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