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アスリートを担当する自分自身が感じた 「激動の1年」 と 「これから」
2020年最大のトピックは、東京オリンピック・パラリンピックの延期である。
4月の緊急事態宣言をきっかけに、移動が制限されて、一時期は経済も完全にストップし、外が晴天にも関わらずスポーツができないという不思議な感覚も体験した。
2020年は、スポーツに関わる経営者・フリーランスの人たちの中では、苦境を耐え抜かれた方もたくさんいると思います。
プロアスリートの方々は、挑戦を続ける環境を引き続き作れていること、アマチュアアスリートのお手本となってくれたこと、本当に素敵でした。
アマチュアアスリートの方々は、保護者や支援者、チームスタッフに大いに感謝しましょう。
あなたたちが想像もつかないところでもたくさんの人が動いてくれていることだってあります。あなたたちの環境は、たくさんの方々の努力で成り立っています。だからこそしっかり未来を見続けてください。
2020年は、スポーツに関わる全ての方々の力でスポーツを維持させたのではないかと思う。
スポーツ業界に関わる全ての方々で讃え合いましょう。
これからについて想うこと
ただ、2020年をもっと先に振り返った時に、おそらく10年後・20年後には、コロナ禍が特別という感覚はなくなり、この瞬間は忘れ去られているだろう。
あんな時もあったねくらいにしか思い出さないだろう。
だからこそ、コロナウイルスの影響も含めて 「現象」 に一喜一憂することはあまり本質的ではないと思っている。
本質は日常のアップデートにあり、日常の中で未来に向けたビジョンを持ち続けるかではないか。
そういった意味では、東京オリンピック・パラリンピックの開催について『開催してほしい』というよりも『やらなくても良い』と発言するアスリートも決して批判を浴びる必要はないと思ったりもする。
ストレングス&コンディショニングコーチとして、オリンピック・パラリンピックの延期で調整が狂うと考えるアスリートの意味があまり分からない。(※年齢等も含めて引退を少しでも検討している選手は全く別)
いつだってベストパフォーマンスで居続けることが本来のアスリートの姿であると思うし、『来週試合とかでも良いよ!』と言うアスリートの方が絶対にかっこいい。という感情論をなくしても、日々身体に向き合っていれば自然とそうなれるはずだし、そうなっていくことが身体的パフォーマンスとしても正しい。
オリンピック・パラリンピックでしかスポーツを表現できないのであれば、それに対して大きな疑問を感じるし、もっと他でも価値を伝えれる場を作ろうと考えるアスリートたちはごく自然なのではないだろうか。
スポーツの価値を広げるということは、ある意味で日常化に近づけることなので、オリンピック開催が全てではないはず。
開催に関して、『やらなくても良い』(もちろん文脈によるが、)と発言するアスリートこそスポーツの意味をきちんと捉えて、スポーツというものを日常化しているのではないだろうか。(※そうではないアスリートが決して頑張っていないとかではない。)
スポーツだけに限らず、日常の中から未来のビジョンを持ち続けているからこそ、変化に強く居続けれるのだろう。
スポーツに関わる人間として、自分自身もそうでありたい。
日常を生き続ける。そして、未来について語ろう。
この言葉を胸に2021年以降もやっていきたい。
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