「靴下とサスティナブル」②愛着が生まれる
心に湧き上がる「寂しい」気持ちは、「愛着」が生まれた証拠
前の記事にも書いたが「もったいない」を、
・物質として無くなると不便、不利益と感じること
・寂しいなどの感情
といった論理的、感情的な2つに分け、寂しいなどの感情面について考えてみようと思う。
寂しい気持ちが生まれるということは、ものに対して「愛着」を持ったからにほかならない。
「愛着」とは
自分の感覚からすると「愛着」とは、ものを対象にすることが多い言葉だと思っていたのだが、検索してみると、こどもの発達に関わることばかり出てくるので、少し意外だった。
幼児期に社会性を育む「愛着」
ものへの「愛着」
どういう”もの”に愛着を持つのか
・単純にデザイン、用途などが気に入ったもの
・サスティナブルなもの、持つことで意味があるもの
これらのことのように何かしら分かりやすい理由があり、自分で選ぶことで「愛着」は生まれやすい。
「意識的な愛着」、「無意識的な愛着」
愛着を持つということを分けて考えてみると、自分で気に入ったものを選ぶことから生まれる「意識的な愛着」と、日々特に意識はしていないものでも、使い続けているうちに生まれる「無意識的な愛着」というものがあるのだと思う。
意識的な愛着
意識的に愛着を持ちやすいものは、
自分で使うものを選んだり買ったりする時点で、何かしら気に入った部分があるもの。たとえば自分の好みのデザインや流行り。サスティナブルなものなどの意義。ブランドへの共感、応援などである。
ほかでいうと、初めからカスタマイズできるものや、使い続ける中で修理、仕様の変更ができるものを選ぶことでも愛着は持ちやすい。それは自分だけのものになるからだ。
ものを作っているメーカー側は、いかに愛着を持ってもらえるような商品を作るか。その商品をより多くの消費者に届けていくかということに注力している。もちろん悪いことではなく良いことだと思う。
そういった気に入るポイントがある商品が世の中に増えていくことが、消費者としてみればワクワクもするし、たくさんの魅力的なものの中から自分で選ぶという行為によって、よりいっそう愛着を持ちやすくもなる。
無意識的な愛着
ただ、こういった手に入れる時の接点でしか愛着を持つきっかけが生まれないわけではない。特に気にもしていなかったものに、いつの間にか愛着を持ってしまっているというような、無意識的に変化していくことはかなりあるのだと思う。
前の記事にも書いているように、こどもが自分で選んでいない靴下を履き続けてきた結果として、知らずしらずのうちに愛着を持ってしまっている。まさに「無意識的な愛着」だ。もちろんこどもの好みを考慮して靴下を選んではいるものの、最終的には親の好みで選んでいる。
無意識的な愛着が生まれる
「無意識的な愛着」にアプローチしているものや方法を、自分が知らないだけなのかもしれないがパッと思い浮かばない。
無意識的に愛着が生まれていくという過程にはどんなものがあるのか。
ものと時間を共にする
一般的には同じものを使い続けて、自分とものとが共に同じ時間を経過していくことで、自然と愛着がわくということなのだろう。
それまで気づいていなかった魅力を発見したり、自分の特別な体験と結びついたときにも、急に愛着がわいてくる。
はじめから経年劣化を楽しむものとして存在している革製品やデニムなどは、手に入れる時に、そういった特徴があるものとして選んでいるので、意識的に愛着を生んでいるのだろう。
ただ、はじめから経年劣化を楽しむという特徴のないものでも、「味が出てくる」こともある。
この「味がでてくる」とは、「愛着」の定義で先に述べた乳幼児期の愛着理論である、受け入れて反応しあうというような相互関係を築いていくことと、似たようなことがおこっている気がする。
自分が好き勝手にものを使うと、その使い方による経年劣化という反応で帰ってくる。そんなことを繰り返し、時間を共にすることで、「自分だけのもの」になり愛着がわいていくのだと思う。
反対に長く使い続けても愛着がわかないこともある。
世の中にあるどんな商品でも、作り手側はデザインにこだわり、内容も意図をもって作っているはずで気に入られる要素は必ずある。
にもかかわらず愛着がわく、わかないに分かれるということは何が原因なのだろう。
このことは考え始めたばかりなので、愛着がわかない原因や、具体的に無意識的な愛着を生み出す方法は、浮かんできていないのが正直なところではある。
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新しく手に入れるものは可能な範囲内で気に入るものを選ぶことがもちろん大切だが、もうすでに持っているものに対していかに興味を持って「自分だけのもの化」「自分ごと化」するためのアプローチを考えていくことが重要になっていくような気がしている。
自分が関わるものというのは「新しく手に入れるもの」と「すでに持っているもの」とがあり、後者のほうがだんぜん多いからである。
後者にアプローチすることは、環境面などに対しては効果がとても小さいのかもしれないが、お金もかけずにお気に入りのものを増やしていけるということに魅力を感じはじめている。「さぁ何を愛着を持つターゲットにするか」と考えるだけでほんの少しだけワクワクする。
こどもに比べて、ものを大事にする気持ちが薄くなっていると気づいたことから「もったいない」について考えてきたのだが、すでに持っているものに対してワクワクすることが、結果的に「もったいない」という感情を取り戻す第一歩なのかもしれない。
結局ものに対して興味や関心を持つという気持ちの問題しか思い浮かばなかったが、無くなると寂しく感じてしまうものを、いかに増やしていくか、引き続き長いスパンで考えていきたいと思っている。
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