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タイパがなんだってんだ

久しぶりに居酒屋さんで1 曲だけカラオケ歌った。悩んだ末いつもの「翳りゆく部屋」by ユーミン。同行者はわたしより一回り以上若いけど松田聖子の「スイートメモリーズ」をチョイスしてた。

そう、やっぱりカラオケなら昭和の名曲に限る。わたしが歌うときはユーミンのほかオフコース、サザンのほぼ三択ですかね。歌謡曲も含めて昭和のメロディが全般にわかりやすかったのは確かだけれど、この3アーティストのメロディメーカーとしての才は卓越してたと思う。

ちなみにわたしの推し活の対象はスターダスト☆レビューと原田真二さん。どちらもデビュー40周年を超えてバリバリ活動中。でも、おかしなもので推しの楽曲はなぜかカラオケでは歌わない。推しの曲はどれも私にとって神聖なる作品であり、下手な自分の酷い声で再現されるのが自分で耐えられないためだと思う。(なので、自分の声が聞こえないライブでは大声で一緒に歌う。)

最近は音楽の視聴もタイパ重視だそうで、前奏も間奏もない曲ばかりらしい。サビだけ聴いて手っ取り早く満足するみたいな。もはや1曲聴くというより数十秒の動画を観る感覚なのだろう。

昭和の楽曲は前奏も間奏も後奏も含めて一つの作品だった。スイートメモリーズの前奏は30秒もあった。翳りゆく部屋の間奏もけっこう長い。でもどちらも作品の一部として欠かせないパートだと思う。

また、昔は「アルバム」というものも一枚通して聴いて一つのストーリーになるような作り方がされていた。レコードの時代はA面とB面で物語の設定が違ったりして。もちろん、一枚の中には大好きな曲もそうでない曲もある。でもそれら全部ひっくるめて「作品」として聴いていた。

ここであらためて原田真二&クライシスのポリドール時代の名アルバム「HUMAN CRISIS」(1980年)と「ENTRANCE」(1981年)を聴いてみる。と、十数曲を通して表現されるその世界観にいまだに鳥肌が立ってしまう。

スタレビはストリーミングの時代に入ってからもアルバムを出し続けているけど、やっぱり彼らの真骨頂はライブ。ライブこそ20数曲の演目で周到に組み立てられた一つの作品だ。そして先月リリースされた「ブギウギワンダーレビューのテーマ」は、なんとメドレー!過去の曲をつなげてこれほどしっくり感のあるメドレーが作れるアーティストって、そうはいないのではないか。

なんでも細切れにしてしまうと、人間どんどん近視眼的になり、どんどん大局観を失っていく。ような気がする。

やっぱりアーティストにはスケールの大きなストーリーを求めたい。

今回は、最近の音楽をぜんぜん知らないkanrekishoujoの独断と偏見でお届けしました。



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