kanrekishoujo

1回目の東京五輪の年生まれ。主に昭和40年代から平成初期の思い出話を空の写真とともに綴…

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1回目の東京五輪の年生まれ。主に昭和40年代から平成初期の思い出話を空の写真とともに綴ります。スマホなんか無くても生きていけた時代の話。よかったら息抜きにどうぞ。本業はライター(「良文工房」ryobunkobo.com)

最近の記事

そういえば近ごろ

■近ごろ聞かなくなったもの――迷子のアナウンス。 昔はデパートや行楽地に行くと数時間に一度「○○をお召しになった3歳くらいの女のお子さんを○○でお預かりしております」みたいな放送を聞いたものだ。まあ、最近はそんな人混みに行くこともなくなったが、たまに出かける大型ショッピングセンターでも、イマドキまずそんなアナウンスは耳にしない。 これは私が生まれ育った川崎市の昭和45(1970)年の資料映像だが、これだけ子どもがワンサカいたら、そりゃ迷子もたくさん出ただろう。でも半世紀後

    • 私がゾウを好きなわけ

      じゃじゃ麺ちーたんたんリベンジで盛岡を再訪した。(前回訪問時の記事はこちら) 前回とは違うお店に入り、今回は無事、最後のちーたんたん(あらかた麺を食べ終わった皿に溶き卵とゆで汁を入れてスープにする)まで完食した。たいへん満足したが、個人的にリピートはしなくていい気がした。それにしても周囲のジモティの食べるスピードには驚く。後から入店した女性もあっという間に麺を平らげ、私より先にちーたんたんステージへ。きっとほとんど噛まずに飲み込んでいるに違いない。それほど麺が柔らかく、消化

      • 平成初期が思い出せない

        スマホやPCがなかった頃、どうやって仕事をしていたのかよく思い出せない。 私の場合、職場で初めて一人一台のパソコンをあてがわれたのは、平成9年(1997年)に転職した先の金融系の会社だった。その直前まで約6年間勤めていた小さな翻訳会社では、仕事の性質上コンピューター(というかワープロ専用機みたいなもの)はあったが、一人一台ではなかったし、流行り始めのインターネットともまだつながっていなかった(最後の頃はモデムがピーヒョロヒョロと音を立ててダイヤルアップ回線に接続したような気

        • 腕時計って昭和ですか?

          愛用の腕時計が3本ある。その1本の電池が切れた。以前なら我が家から徒歩圏内にあったデパートの時計売り場に行ったものだが、そこが数年前に閉店してしまった。それで、プラス6~7分歩いたところにある商店街の時計屋さんに行く。2軒あるがどちらも店内は昭和のままで、タイムスリップしたような気分になるのがちょっと楽しい。 今回お願いしたほうの店は、私より少しお若いかなという年代の店主に聞いたら5代目だそうだ。店の奥で大きな振り子がカチカチと時を刻んでいる柱時計に近づいてみると18xx年

        そういえば近ごろ

          盛岡市 vs 福島市

          本州で一番大きい岩手県(15,275平方㎞)の県庁所在地、盛岡市。 本州で二番目に大きい福島県(13,783平方㎞)の県庁所在地、福島市。 どちらも内陸の元城下町。 どちらも人口は30万弱(28万@盛岡、27万@福島)かつ順調に減少中。 どちらも市街地からシンボル山を望む(岩手山@盛岡、吾妻山@福島) どちらも市街地を大きな川が流れる(北上川@盛岡、阿武隈川@福島)。 ちなみに、東北新幹線は福島駅で山形新幹線と分かれ、盛岡駅では秋田新幹線と分かれる。どちらも切り離しが見られる

          盛岡市 vs 福島市

          なぜ「近寄るな」と言ったの?

          私は昭和39(1964)年に神奈川県川崎市に生まれた。1回目の東京オリンピックの年、高度経済成長の真っただ中だ。小学校に上がったのは昭和45年。当時の川崎駅には駅前広場や線路の下をくぐる出来立ての地下道があって、隣町の私立小へ駅前からバスに乗って通学することになった私は、毎日その地下道を通っていた。 かなり幅が広かったように思うのだが、川崎市の記録映像を見てみると記憶よりもかなり狭い。幅は6メートルだそうだ。 昼間でもほの暗かったその地下道の中ほどの壁際に、ときどき、白い

          なぜ「近寄るな」と言ったの?

          デパートは昭和ですか

          私が現在住んでいる福島県福島市にはデパートがない。1990年代までは3軒も営業していたらしいが、ひとつ、またひとつと閉店し、最後に残っていた中合(なかごう)という地場資本の百貨店も2020年夏についにクローズ。デパート無しの県庁所在地になってしまったのだ。 それで不便になったか、と言われればそうでもないというのが正直なところで、つまり百貨店という業態が時代の流れに合わなくなってきたのは事実だろう。けれども、SNS上で知人が郡山市の「うすい」というデパートの話を投稿しているの

          デパートは昭和ですか

          明けまして淡々と

          お正月はいつもの通り川崎の実家に帰省。一人で暮らす母は1月3日が誕生日で、無事87歳を迎えた。無事とは言っても要介護の身。寄る年波には抗えず、特にここ1〜2年はできなくなったこと・やらなくなったことが格段に増えた気がする。 典型は料理だ。もともと間違っても料理好きとは言えない母だが、長年、自営業の家族4人の3食を作ってきた実績はある。それが今ではお米を研いで炊飯器のスイッチを入れるのがせいぜいになってしまった。腕力がなくなったとか、手先が震えるとかの物理的な理由だけじゃない

          明けまして淡々と

          そろそろ終活ちゃんと始めようか

          久しぶりに県立図書館に行ったら、こんな本を見つけたので借りてみた。 内容紹介は省くがタイトルと帯からだいたいわかると思う。一気に読んでとにかく共感しまくった私は、さっそく著者の門賀美央子さんを真似て終活に踏み出した。 もちろん、まもなく還暦(数えではすでに到達)という私は「そろそろ終活」を意識し始めて久しい。まずは無用な延命治療をノーサンキューするためのリビングウィル作成については、日本尊厳死協会からずいぶん前に資料を取り寄せてあった。そして、死後の後始末をしなきゃならな

          そろそろ終活ちゃんと始めようか

          昭和には存在しなかったボキャブラリー

          noteでも再び宣伝させてもらいますが、今年ワタクシ、初めて本を出版しました。 東京から福島に引っ越して以来、9年間綴ってきたブログを編集して自費出版したもので、まあ友人知人以外には大して売れてないと思うが、私にとっては今年の一大イベントだった。 この本、親をネタにしてる部分も結構ある。だからというわけでもないが、6月中旬に刷り上がった後、まず献本したのは川崎の実家に住む母だった。残念ながら父は3年前に他界しているが、もともと読書家じゃなかったから存命だったとしてもほとん

          昭和には存在しなかったボキャブラリー

          滅私奉公は昭和ですかね?

          「24時間戦えますか」というフレーズは、昭和63年(1988年)に発売になった栄養ドリンクのCMキャッチコピーだったそうだ。「企業戦士」なんて言葉は最近めっきり聞かなくなったが、当時のサラリーマンはみんな「戦う」ものだったのだ。 その6年前、昭和57年(1982年)に岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」がリリースされたときも、「この都会(まち)は戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士…」という歌詞に違和感を抱く人は、当時ほとんどいなかったのではなかろうか。 いったい彼らは誰と

          滅私奉公は昭和ですかね?

          空の色はどうして青だったりオレンジだったりピンクだったり黄色だったり紫だったりするの?

          空の色はどうして青だったりオレンジだったりピンクだったり黄色だったり紫だったりするの?

          処理水放出について福島に住む昭和のおばさんが思うところ

          先日、東京から福島に遊びに来た友人(60代)に、「処理水の放出始まるけど、そしたら福島の魚ってどう思う?」と聞いてみた。 「別に福島の魚かどうか調べて買うわけじゃないけど、福島のだって言われたらやっぱり敬遠するよ」 「なんで?」 「だってイメージ悪いじゃん」 「危ないっていうイメージ?具体的に何が危ないと思う?」 「そんなのわかんないよ。私、テレビも見ないし新聞も読まないし、科学的に安全って説明されてもさ、恐怖っていうのはイメージだから。周りも同じような人多いよ」 「トリチウ

          処理水放出について福島に住む昭和のおばさんが思うところ

          昭和レトロっていつのこと?

          「昭和」テーマでnoteを書き始めたのは、自分が子どもの頃や親が若かった頃の昔話を書き留めておこうという単純な動機だった。けれども、あまりに「昭和」を連発すると、まるで自分が「昭和」という時代を代表する世代のように自分で勘違いしかねない。実のところ、私が「昭和」を過ごしたのは24歳までであって、その後すでに35年が経つ。自分の人生の中では既に「非昭和」の方が長いのだ。 それでも「昭和しばり」にこだわるのは単なるノスタルジーが半分。残り半分は世間的にも「昭和レトロ」という一種

          昭和レトロっていつのこと?

          昭和の子どもが熱を出したら

          1週間前、とうとうコロナになった。順番が回ってきた感じだ。いまは近所の診療所でもすぐ診てくれるようになったのは有難い。「ただの風邪」なのかインフルなのかコロナなのか、あるいは別の変な病気なのか、わからないまま発熱してる状態というのは精神的にも結構シンドイわけで、2~3年前ならこれで医者に行こうにも事実上「来るな」と言われていたのだから、当時罹患した皆さんは本当に大変だったと思う。 今回はすぐに処方してもらった経口薬のおかげか、私の熱は上がっても38度台前半どまり。4日目には

          昭和の子どもが熱を出したら

          昭和の歌謡曲について勝手に講釈

          少し前のことだが、近くのイベント広場でビアフェスとやらがあり、暇だったのでふらふら出かけると、ステージパフォーマンスにちょうど若い女性の2人組が登場したところだった。素人なのかセミプロなのかはわからない。何を歌うのかと思ったらザ・ピーナッツのモスラ、ピンクレディのUFO、あみんの待つわと来たので少々驚いた。しかもなかなか上手である。ほぉ、今どきの二十代が昭和の歌謡曲をカバーするんだ。昭和34(1959)年デビューのザ・ピーナッツはさすがに私もリアルタイムで見た記憶はないが、ピ

          昭和の歌謡曲について勝手に講釈