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1回目の東京五輪の年生まれ。スマホもAIも無くてたって立派に生きていけた時代の思い出話…

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1回目の東京五輪の年生まれ。スマホもAIも無くてたって立派に生きていけた時代の思い出話が中心です。いつも変わらぬ空の写真とともに。よかったら息抜きにどうぞ。本業はライター(「良文工房」ryobunkobo.com)

最近の記事

「なぜ」の質問・「なぜ」の説明

今回はめずらしく、ちょっとだけ仕事寄りの話をします。 ふた月ほど前、傾聴ボランティア養成講座というものを受講しました。 私のふだんの主な仕事は、人の話を聞いて文章を書くこと。そのスキルを生かして、高齢者福祉の分野で多少社会貢献的な活動ができたら、と考えたのが受講理由です(実際にお話を聴く相手は高齢の方ばかりとは限らないようですが)。 で、3日間の講習を終えてわかりました。 傾聴とインタビュー取材の共通点は、「相手の話を全身全霊で聴くこと」。 同じなのはここまででした。

    • タイパがなんだってんだ

      久しぶりに居酒屋さんで1 曲だけカラオケ歌った。悩んだ末いつもの「翳りゆく部屋」by ユーミン。同行者はわたしより一回り以上若いけど松田聖子の「スイートメモリーズ」をチョイスしてた。 そう、やっぱりカラオケなら昭和の名曲に限る。わたしが歌うときはユーミンのほかオフコース、サザンのほぼ三択ですかね。歌謡曲も含めて昭和のメロディが全般にわかりやすかったのは確かだけれど、この3アーティストのメロディメーカーとしての才は卓越してたと思う。 ちなみにわたしの推し活の対象はスターダス

      • FIREはできなかったけど

        私は7年前、53歳でサラリーマン生活を卒業し、同時にプチリタイア宣言した。宣言したところで誰も聞いてなかったが、自分で自分のシフトダウンを確認するため、そういうことにした。 といっても、あくまで「プチ」リタイア。もしその時点で一生かかっても使いきれないほどの資産が形成できていたならば、堂々とFIREを宣言できたのだが、残念ながらそこまでの蓄えはなかった。家のローンは終わっているし、扶養家族もいないので、もはやフルタイムでガシガシ働く必要はない(はず)。けど今いきなり無収入に

        • 家に対する思いって複雑だ

          ネットで、海外のセレブや著名インテリアデザイナーの「お宅拝見」動画をときどき視聴する。ニューヨークやロンドン市街の豪華アパートメントもあるけど、大抵はカリフォルニアとかアリゾナとか、たまにバリとかのプール付き・おっきな庭付き豪邸だ。あまりに世界が違いすぎて憧れる気も起きない。インテリアの参考に、なんていうのすら憚られる。こんな豪邸維持するのにどんだけ電気使うんだよ、などと余計な腹を立てないよう気をつけつつ、芸術品鑑賞と同じく、いわゆる目の保養として観ている。 で、おもしろい

        「なぜ」の質問・「なぜ」の説明

          昭和のマセガキ回想録

          時期はかぶっていないが同じ私立小中学校に通った友人がいる。少し前、彼女が久々に母校を訪ねたといって写真を見せてくれた。ところが、見てもぜんぜん「懐かしい」という感慨がわかなかったので自分でもびっくりした。なんたって校門からしてまったく見覚えがない。私がその学校を卒業したのは45年も前の話だから、校舎設備はすべて一新されていて当たり前だろう。そして私はこの45年間、一度も母校を訪れていない(たしか)。付き合いのある同窓生もおらず、母校という言葉を使うのも憚られるくらいだ。 た

          昭和のマセガキ回想録

          誰一人取り残さない、というならば

          徒歩5分で行けた最寄りのスーパーが閉店してしまったので、徒歩15分の別のスーパーに行く。 そこは少し前から有人レジにセルフ精算機が導入されていたのだが、今日久しぶりに行ってみたら半分以上が無人のセルフレジに変更されていた。前と同じ有人レジも2つくらい残っていたが、なぜかそこに店員の姿はない。すべての客がセルフレジに誘導されていた。導入からまだ間もないらしく、セルフコーナーのほうには店員が2人ほど張り付いている。でも、それもそのうち1人以下に減るのだろう。私の目の前で、カート

          誰一人取り残さない、というならば

          別荘族になれなかった父

          ワーケーションという言葉をひと頃ほど聞かなくなった気がする。コロナが終わったせいで流行らなくなったのか、あるいはみんなもう普通にやってるから取り立てて言うほどのことでもなくなったのか。たぶん前者のような気がするけど。 地方移住あるいは二地域居住ブームもしかり。一時は地方創生に思わぬ追い風?と思ったら、コロナ収束と共に東京がまた転入超過に戻ったのは周知のとおりだ。 ところで、二地域居住なんてかたい表現やワーケーションなんてカタカナを使わなくても、昭和の昔から事実上同じような

          別荘族になれなかった父

          私はこうして悲しくないふりをする

          あったものがなくなる。 いた人がいなくなる。 できたことができなくなる。 それを人は悲しいと思う。 でもいつまでも同じ、なんてものはない。 なかったものができる。 いなかった人が来る。 できなかったことができるようになる。 それを人は嬉しいと思う。 でもいつまでも同じ、なんてものはない。 できては消え、来ては去り、の繰り返し。 それ自体に良し悪しはない。 春夏秋冬に良し悪しはない。 生老病死にも良し悪しはない。 良し悪しは人間が感情で判断する。 その感情とて常に変わりゆく。

          私はこうして悲しくないふりをする

          AIに殺される、のではなく

          報道によれば、生成AIの普及で電力需要が爆発的に増えるそうだ。世界のデータセンター向けの電力需要は、2027年までのたった3年間に318寺ワット、いやテラワット増える。これはインドネシア1国分の年間電力消費量に相当するんだとか。早晩「需要増大が供給能力の限界に直面する」という見立てもあるそうだが、私なんかは無知なりに、そりゃそうだろう、と率直に思う。 もしそれが本当なら 脱原発も脱炭素も不可能だ。 もしまた東日本大震災級の災害(あるいはそれに匹敵する出来事)が起きて、 そ

          AIに殺される、のではなく

          そういえば近ごろ

          近ごろ聞かなくなったもの――迷子のアナウンス。 昔はデパートや行楽地に行くと「○○をお召しになった3歳くらいの女のお子さんを○○でお預かりしております」みたいな放送をしょっちゅう聞いたものだ。まあ、最近はそんな人混みに行くこともなくなったが、たまに出かける大型ショッピングセンターでも、イマドキまずそんなアナウンスは耳にしない。 これは私が生まれ育った川崎市の昭和45(1970)年の資料映像だが、これだけ子どもがワンサカいたら、そりゃ迷子もたくさん出ただろう。でも半世紀後の

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          私がゾウを好きなわけ

          じゃじゃ麺ちーたんたんリベンジで盛岡を再訪した。(前回訪問時の記事はこちら) 前回とは違うお店に入り、今回は無事、最後のちーたんたん(あらかた麺を食べ終わった皿に溶き卵とゆで汁を入れてスープにする)まで完食した。たいへん満足したが、個人的にリピートはしなくていい気がした。それにしても周囲のジモティの食べるスピードには驚く。後から入店した女性もあっという間に麺を平らげ、私より先にちーたんたんステージへ。きっとほとんど噛まずに飲み込んでいるに違いない。それほど麺が柔らかく、消化

          私がゾウを好きなわけ

          平成初期が思い出せない

          スマホやPCがなかった頃、どうやって仕事をしていたのかよく思い出せない。 私の場合、職場で初めて一人一台のパソコンをあてがわれたのは、平成9年(1997年)に転職した先の金融系の会社だった。その直前まで約6年間勤めていた小さな翻訳会社では、仕事の性質上コンピューター(というかワープロ専用機みたいなもの)はあったが、一人一台ではなかったし、流行り始めのインターネットともまだつながっていなかった(最後の頃はモデムがピーヒョロヒョロと音を立ててダイヤルアップ回線に接続したような気

          平成初期が思い出せない

          腕時計って昭和ですか?

          愛用の腕時計が3本ある。その1本の電池が切れた。以前なら我が家から徒歩圏内にあったデパートの時計売り場に行ったものだが、そこが数年前に閉店してしまった。それで、プラス6~7分歩いたところにある商店街の時計屋さんに行く。2軒あるがどちらも店内は昭和のままで、タイムスリップしたような気分になるのがちょっと楽しい。 今回お願いしたほうの店は、私より少しお若いかなという年代の店主に聞いたら5代目だそうだ。店の奥で大きな振り子がカチカチと時を刻んでいる柱時計に近づいてみると18xx年

          腕時計って昭和ですか?

          盛岡市 vs 福島市

          本州で一番大きい岩手県(15,275平方㎞)の県庁所在地、盛岡市。 本州で二番目に大きい福島県(13,783平方㎞)の県庁所在地、福島市。 どちらも内陸の元城下町。 どちらも人口は30万弱(28万@盛岡、27万@福島)かつ順調に減少中。 どちらも市街地からシンボル山を望む(岩手山@盛岡、吾妻山@福島) どちらも市街地を大きな川が流れる(北上川@盛岡、阿武隈川@福島)。 ちなみに、東北新幹線は福島駅で山形新幹線と分かれ、盛岡駅では秋田新幹線と分かれる。どちらも切り離しが見られる

          盛岡市 vs 福島市

          なぜ「近寄るな」と言ったの?

          私は昭和39(1964)年に神奈川県川崎市に生まれた。1回目の東京オリンピックの年、高度経済成長の真っただ中だ。小学校に上がったのは昭和45年。当時の川崎駅には駅前広場や線路の下をくぐる出来立ての地下道があって、隣町の私立小へ駅前からバスに乗って通学することになった私は、毎日その地下道を通っていた。 かなり幅が広かったように思うのだが、川崎市の記録映像を見てみると記憶よりもかなり狭い。幅は6メートルだそうだ。 昼間でもほの暗かったその地下道の中ほどの壁際に、ときどき、白い

          なぜ「近寄るな」と言ったの?

          デパートは昭和ですか

          私が現在住んでいる福島県福島市にはデパートがない。1990年代までは3軒も営業していたらしいが、ひとつ、またひとつと閉店し、最後に残っていた中合(なかごう)という地場資本の百貨店も2020年夏についにクローズ。デパート無しの県庁所在地になってしまったのだ。 それで不便になったか、と言われればそうでもないというのが正直なところで、つまり百貨店という業態が時代の流れに合わなくなってきたのは事実だろう。けれども、SNS上で知人が郡山市の「うすい」というデパートの話を投稿しているの

          デパートは昭和ですか