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平成初期が思い出せない

スマホやPCがなかった頃、どうやって仕事をしていたのかよく思い出せない。

私の場合、職場で初めて一人一台のパソコンをあてがわれたのは、平成9年(1997年)に転職した先の金融系の会社だった。その直前まで約6年間勤めていた小さな翻訳会社では、仕事の性質上コンピューター(というかワープロ専用機みたいなもの)はあったが、一人一台ではなかったし、流行り始めのインターネットともまだつながっていなかった(最後の頃はモデムがピーヒョロヒョロと音を立ててダイヤルアップ回線に接続したような気もする)。

その会社の営業職だった私にとって、英語⇔日本語の翻訳案件をもらってまずやることは、原稿の文字数や単語数を数えて見積もりを出すこと。いまならドキュメントを開けば自動で表示されるが、当時のワープロにそんな機能はない。だから、紙にプリントされた文字をエンピツでひとつひとつ数え、1行の文字数に行数を掛け合わせ、さらにページ数を掛け合わせて文字数の概算をはじき出した。その作業はよく覚えていて、日本語400字≒英語167ワードという公式もしっかり記憶している。

その見積もりがOKになったら、翻訳者(みんな在宅のフリーランス)に依頼を出す。上がってきた翻訳原稿をチェックし、必要な編集を加えて期日までに納品するのが私の仕事だった。

よく思い出せないのは、それらクライアントや翻訳者と原稿をどうやってやりとりしたのかである。電子メールもまだ使っていなかった(記念にとってある当時の名刺にメルアドはない)ということは、ハードコピーとフロッピーディスクの物理的な行き来だったはず。元原稿が短ければファクス、そうでなければ郵便か宅配便かバイク便? 客先にはたいてい自分で出向いたに違いなく、たしかによく外出はしていたのだが、封筒から原稿とフロッピーを出して渡す、というシーンの記憶がほとんどない。

ちなみに、その会社では見積書も請求書もワープロ専用機で作成し、プリントして郵送していた。そしてその「会計処理」はノートに手書きだった(笑)。当時のワープロはまだWYSWYGではなく(などといっても最近の人はわからないでせうね、昔は画面上で見たとおりに出力される=What You See is What You get わけではなかったのです)、プリントで失敗しない文書を作るにはちょっとしたテクが必要だったなあ、そういえば。

こうやって、いまなら数分で終わる事務作業をあの頃は数十分、数時間かけてやっていたわけだ。残業が多かったのも当然かもしれない。それどころか、いまや翻訳自体、大部分をAI君に任せることも可能である。こういうテクノロジーの進化のおかげで会社員の残業は減ったんだろうか。人間は楽になったんだろうか。

もうひとつ、うまく思い出せないのが旅行の手配だ。

私は20代後半から40代半ばにかけて、つまり平成前半の20年間(1990~2010年)、平均年2回ほど海外旅行に出かけていた。当時の私は添乗員付きのパッケージツアーなんかダサいと考える生意気な若者だった(たぶん値段的にも無理だった)ので、ぜんぶ自分で手配する個人旅行だった。旅行会社にまるごと依頼した記憶もない。しかし、私の自宅パソコンがインターネットに接続したのは早くて1996年あたりだったはず。それ以前は、ネットを使わずにどうやってそんな手配が可能だったのだろう。なにより、どうやって現地の宿や現地ツアーなどの情報を入手したのだろう。やっぱり「地球の歩き方」をはじめとするガイドブックは偉大だったのだと思うが、実際に自分がどうやって各種予約をしたのか(郵便とファクス?)まったく記憶がないのだ。

思い返せば、海外現地で友人と落ち合ったり現地に住む友人を訪ねたりすることも多かった。いまならSNSで簡単に連絡がとれるが、当時はそうもいかない。そもそも携帯電話がない。おそらく行く前に何度か手紙でやりとりし、そこで約束したとおりの時間と場所で待ち合わせ、万一変更の必要があれば公衆電話を探して固定電話に連絡を入れたのだろう。が、これまた具体的なシーンが思い出せないのである。

同年代のみなさん、覚えてますか?

「常にネットにつながっている」状態がこれほど当たり前になった今、かえって「ネットにつながらないでも物事を成し遂げられるスキル」こそ大事になってきているのではないかと思う今日この頃であります。

福島市内郊外の高台にあるお寺さんからの眺め。

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