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デパートは昭和ですか

私が現在住んでいる福島県福島市にはデパートがない。1990年代までは3軒も営業していたらしいが、ひとつ、またひとつと閉店し、最後に残っていた中合(なかごう)という地場資本の百貨店も2020年夏についにクローズ。デパート無しの県庁所在地になってしまったのだ。

それで不便になったか、と言われればそうでもないというのが正直なところで、つまり百貨店という業態が時代の流れに合わなくなってきたのは事実だろう。けれども、SNS上で知人が郡山市の「うすい」というデパートの話を投稿しているのを見て、久しぶりに行ってみたくなった。

福島駅前、中合があった場所は更地に。

で、出かけた。1時間に1本のローカル東北本線で福島から50分。その日、私は結局うすいデパートの中で4時間以上過ごすことになった。だって、いろんな売り場を見てるだけで楽しいのだ。

百貨店というくらいだから、服飾雑貨、化粧品、食品、時計・宝飾品以外にも、おもちゃ、文具、台所用品、食器から絵画、絨毯やインテリア家具まで売っている。すごいなあ、百万円近いペルシャ絨毯ここで買う人いるのかなあ。でも、外商コーナーもあるからきっと富裕層のお得意様も多いのかもしれない。

時節柄、雛飾りコーナーも特設されていて、私はそこに並ぶあでやかな雛人形を30分近く眺めていた。孫の初節句におじいちゃんおばあちゃんが買ってあげるのかな。いまどきの住宅事情に照らせば、商品の大部分がお内裏様とお雛様だけのセットなのは当然だろう。それでも、雛飾りの主役はやっぱり三人官女から仕丁までフル出演の七段飾り。デパートとしてもその展示は絶対に外せない。おそらく展示だけに終わるのではないかと思いつつ、売り場で見ているだけならタダだから、私は豪華な人形たちをつくづく愛でさせてもらった。

そう、デパートにはそういう効用があるのだ。いわゆるウィンドーショッピングというか目の保養というか。人はたとえ買わなくても買えなくても、いろいろな商品が並んでいるのを見るのが好きなんだ。

いまの日本にも今夜のご飯に困る世帯があることは承知している。でも大多数の日本人にとっての「豊かさ」とは、単に食べ物に困らないだけではなく、モノやサービスの種類・選択肢が豊富であることと同義だと思う。

三丁目の夕日?

昭和の高度成長の時代、つまりは私の子ども時代、デパートというのは日本人が獲得しつつあったその「豊かさ」を実感できる象徴的な場所だったのだろう。私が小学生のころまでは、実家のある川崎駅の前にあった「さいか屋」デパートに行くのが、家族のレジャーでもあった。屋上はちょっとした遊園地ぽくなっていて、10円入れると動く動物型の遊具があったのをぼんやり記憶している。そこで遊んだ後は、最上階のお好み食堂でご飯を食べる。お子様ランチとかプリンアラモードとか。

母に言わせると、私は食べ物を与えておけばいつまでもおとなしく席に座っていたので、よく母は私を一人食堂にのこして別フロアで買い物したそうだ。それほどのんびりした時代だったのだ。

さすがに郡山のうすいデパート最上階にはお好み食堂は残っておらず、かわりに福島市から新たに出店したという創作フレンチ?のお店があって、そこでランチを食べた。その一つ下の階はまるごとワンフロアが書店。本屋好きにはうれしい。その一角にあるコーヒー店で食後のコーヒーを飲みながら、購入した書籍を読む。

その後は1階ずつ下り、各フロアにあふれかえる商品を眺めて「豊かさ」を実感。2階の一部が吹き抜けになっているのを見て、規模は違うけど日本橋の三越を思い出す。日本橋三越は、東京・浅草橋に住んでいた母方の祖母のお気に入りだった。ずっと自営業で旅行などほとんどしなかった祖母にとって、唯一といっていい「お出かけ先」だったのだと思う。私も母と三代連れだって何度か訪れたが、あの吹き抜けの巨大な天女像は子ども心に強烈な印象を残した。

そんなことを思い出しながら、うすい2階に最近オープンしたというカフェ(全国チェーンだけど県内は初出店だそうな)でお茶。この辺、こんなにたくさん若い女性がいたのか、というくらい人気だった。

今の20代30代の若者にとってはデパートってどんな存在なんだろう。昭和のデパートは、なんか、夢があってよかったよ。なんて言ってもわからないだろうな。

でも、この日も一日楽しかった。これからもたまにはデパートへのお出かけ、してみようかな。そんな贅沢が許されるいまのうちに・・・

昭和に流行ったUFOに似たナントカ雲




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