天正19年(1591)12月28日は秀吉が関白を甥の豊臣秀次に譲り太閤を称した日。この年の秀吉は弟秀長と3歳の実子・鶴松を相次いで亡くしており秀次を後継者にした。秀次は関白として聚楽第で政務を執ることになった。しかし実権は秀吉が持ったままであり2年後に秀頼が生まれることになる。
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