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もし私が私自身に会ったとき、何を思うだろう

最近またいい気付きに出会えた。
「いい気付き」というのはハッとさせられる、心が動かされる気付き。

モチベーションの1つとして、『もし私が私自身に会ったとき「この人好き」と思えるか』を大事にしています

きっとこの言葉にハッとするということは、多少なりとも後ろめたさがあるのだろう。

頑張っていないわけではないと思う。いやむしろ頑張っている。自分で自分を褒めてあげたいくらいには頑張っている。

だけどそれは裏を返せば、頑張ることに精一杯で「楽しめてますか?」ということにもなる。「頑張ってますか?」と聞かれたら自信をもって「はい」と言えると思うが、「楽しめてますか?」と聞かれたらちょっとためらうかもしれない。

ここで間違えちゃいけないのは、
「楽しめていない」=「つらい」
ではないということ。

学生時代と違って、働いてお金を稼ぐ、組織に属するということはそれなりの覚悟と責任が必要で。ましてや最近異動もしたからまずは必死に土壌を整えている状態で。

結果目の前のことに必死になるがあまりに、楽しむということは忘れてしまっているのかもしれない。だから今の自分を否定するつもりは全くないし、むしろ尊敬したい。

だけど、そんな背景を知らない別の自分が、今の自分を見たときに

「この人みたいになりたいな~」
「この人のこと好きだな~」

と心から思えるか、というと自信は持てない部分がある。


結局は自分がどう思っているか、が大事というのは言うまでもない。
偽りの姿で自分に負荷をかけて自分が潰れてしまっては元も子もないから。

でも周りからどう見えるか、っていうのも大事だと思うんだ。
人間、第一印象で結構決まるって言う。第一印象で見た時に

「この人疲れてそうだな」
「この人機嫌悪そうだな」

と思われてしまったら、出会うべき人とも出会えないかもしれない。もったいない。

ただ、周りの人が「どんな自分だったら興味持ってくれるか」なんて想像するのは大変なことだ。百人いれば百通りの捉え方があるのだから、全員に合わせにいくなんてできない。

でも自分が自分に対してだったら出来る。
というかそこはやらなくちゃいけないと思う。

そうじゃないと今の自分に対してちょっと失礼だし。せっかくの人生もったいないし。


『もし私が私自身に会ったとき「この人好き」と思えるか』

大事にしたい。

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