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意味を求められる時代に、”わからなさ”を面白がる。

どの記事かは忘れたが、最近の記事で「言語化出来ない魅力」を取り上げた。

説明されすぎてしまう時代だからこそ、あえて説明されない面白さがある。

自分自身その感覚をめちゃくちゃ大事にしている。



今回の記事も言ってしまえばその流れだ。

普段私は就労継続支援B型事業所の方で支援員として農福連携に携わっている。そしてTwitterやInstagram等で「農福連携日記」と称して、日常の様子を画像付きで投稿している。

そして今日から新企画をスタートした。

それが毎日ご利用者様が書いた詩を紹介すること、だ。


ご利用者様の中には趣味で詩を書く人がいる。その世界観はすさまじい。

もちろん「なるほどなぁ」と考えさせられる詩を書いてくることもある。

その一方で「ん?これどういう意味?」という詩を書いてくることもある。

だけどそのどちらもそのご利用者様らしさがあらわれていて、とても面白い。むしろ意味が分からない方こそ、その世界観にグッと引き込まれる


またそれをスラスラと筆が止まることなく書いているのだから、段々と意味を理解できていない私たちの方に問題があるんじゃないかとさえ思えてくる。

そう考えていくと、「意味が分からないからこそ価値がある」んじゃないかと感じた。


意味が分かるものはどうしても「評価」をつけてしまう。

わかるからこそ「優劣」をつけてしまいがちだ。

なんてったって「比較」出来るから。


でも意味が分からないものはこれが出来ない。

優劣のつけようがない。

比較対象がない。


意味が求められる時代に、意味が与えられている時代に、このいい意味での「意味の分からなさ」はすごく面白い

そしてその世界観に意味を与えるのは自分の解釈次第だ。


発想って自由であるべきだと思う。

だけど段々その自由さが失われている気もしている。

周りと同じことを求められ、そして学校では「正解」を教えられる。

でも同じように教えられた人からは同じような発想しか生まれないと思う。

同じ意味を与えられてしまったら、同じ解釈しかできないと思う。

確かにその要素はめちゃくちゃ重要だ。

同じであることで安定感は生まれるし、統一感も生まれる。全員がバラバラだったらそれはそれでしんどい。

だけど、そればっかりもしんどいなって。

たまには意味の分からないものに頭を悩ませて、結局何が何だかわからなくて、悩んでいた自分がバカらしくなって笑ってしまう。

そんなほのぼのした時間があってもいいんじゃないかなって。


意味を求められる時代だからこそ、”わからなさ”に触れることを大事にしていきたい。


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そんな詩を一部、noteで先行公開!

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