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見えないモノ、見えてるモノ

なんだか定期的にBUMP OF CHICKENの「天体観測」を引用させていただいている。かの有名な「天体観測」。

サビの部分。

「見えないモノを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ~」

何回聴いたことか。

ただ、曲の後半ではちょっとフレーズを変えて出てくる。

「見えてるモノを見落として、望遠鏡をまた担いで~」

丁寧に歌詞を考察できるわけではないので、ここの対比を、つながりをどういった表現で用いたのかその真意はわからない。ただ、自分の日常に当てはめようと考えると勝手に腑に落ちている自分がいる。


向上心が高かったり、成長しないといけない環境だったり、そうでなくても自分の置かれている立場上、常に何か難しいこと・新しいことを追っている状況だと自然と「見えないモノを見よう」としている感覚になるのは自分だけだろうか。

見えないモノを見る、ってすごく時間のかかることだ。
どんな大きさで、どんな形をしているのかもわからない。
そもそもそこに"ある"のかどうかもわからない。

注意して、集中して探さないといけない。
するとどうだろう。自然と周辺視野は狭まっていくんじゃないだろうか。

そうなるとどうなるか。
「見えてるモノ」まで見えなくなってしまう。視野が狭くなるってそういうことだ。

もちろん、見えないモノを見ようとしていく姿勢って大切で。
でもそれって、それまでの見えてたモノをちょっと拾い上げて対応できている前提があるからこそ成り立つもので。見えてるモノさえ見落とし始めてたらお門違いというわけで(自戒も込めて)。


ただこういう時、見えてるモノほど後回しにしちゃいがちだと思う。
いつでもできる、あとでやろう。って。

でもそれって「今を生きる」という観点から考えると正反対のことを言っている。後回しにするってそういうことなんだろうな、と。

そうはいっても世の中には【優先順位】というものが存在している。
目の前に現れたものを、瞬間瞬間で対応しているだけではいけない時もある。

そういう時にスケジュールなんだと思う。
「あとでやろう」と宙に浮かすんじゃなくて、これは○月○日の○時にやろう、とか~~までにやろう、とか。未来との約束をつくることが大事なんだろうなと。


見えないモノを見ようとしながらも、見えてるモノは見落とさず。
そんなことを意識してやっていきたい。

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