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感じる心を忘れないように

好きな文章に書いてあった。

「感じる心がなければ、臨んだ状況を手に入れたとしても、幸せだと感じられない。それだと本当に意味がない。だって何かを望むのは、それを手に入れることで幸せな気分を味わいたいからだもんね。」

この言葉に尽きるなぁ、って思う。

人間にとって一番楽なのって、"無"だと思っている。
感情の波ってやはり結構大変なものだと思う。だってエネルギーを使うから。

特に疲れている時なんて、「いかにエネルギーを消費しないか」に注力する。結果、無を選ぶ。

ただ、そればっかりもいかがなものかという話。
楽なのは無かもしれないけど、人間としての"楽しさ""幸せ"を考えるのであれば、多少波があってもプラスを得られる方がいいんだと思う。楽と楽しいって違う。でもって、人生楽しい方がいい。

じゃあいきなりパッと楽しいを味わえるか、幸せを感じられるかというと決してそんなわけはないと思っていて。ここで繋がってくるのが冒頭の言葉。

「感じる心ががなければ、~」

という部分に通ずる。このために必要なのって定期的に心を感じさせる、震わせる、刺激を与えてあげることだと思う。

基本的に無でいることが多いタイプの人間で、自分から何か事を起こすということは得意じゃない。直していきたいところではあるんだけど、少々時間がかかるもので。そればっかりじゃだめだとわかっているから、「フッ軽」であることを結構大事にしている。呼ばれたら飛んでいく、的な。

自分の中では「合う人たちにあっていく」というのを大事にしているから、自然と呼んでいただけるのは自分の大好きな人たちばかり。もしくは大好きになりたい人たちばかり。

だから「くる?」「おいでよ」となったら行くぜ北へと南へと状態。
でもそれがすっごく楽しい。そこに足を運べている時点では、まだ感じる心失ってないなと思える。この基準、大事。

それすらも行きたいと思えなくなったときはいよいよだと思う。

それくらいに「感じる心」って大切で。
いつになってもいつまでも、自分にとっての優先順位としては高めでいたい要素だと思ってる。

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