【自己形成期】自分の人生生きているようで、周囲の期待に生きていた過去。
先日投稿した記事。
そしてその記事の中で、「プレゼンの内容の一部を紹介したい」といったようなことを書いた。
"自分の人生をコンテンツ”だと思ってほしいので不定期で小出しではあるが、投稿したい。
いきなりだが、「あなたの人生の目的は何ですか?」と聞かれたらなんと答えるだろうか。正直答えるのが難しい人がほとんどだろう。ちなみに私もそうだ。
しかしあえて定義づけるとしたら、「自分と自分に関わる人が”幸せ”な社会」である。実に壮大で、実に抽象的。これをさらに言語化するとなると、「一人一人が自分に嘘をつく必要なく、その人らしく輝ける環境を『当たり前』にする」といったところだろうか。
これでもまだまだ抽象的ではあるのだが。
そこは目を瞑っていただいて、どうしてこういった目的になったかはこれまでの過去から今までの全てが関係している。
それを①自己形成期②転換期③会社との出会い④これからの展望、という形でプレゼンでは話した。
その中から今回は自己形成期について、記事にしたい。
自己形成期。
今の自分を語るうえで、避けては通れない部分だ。サブタイトルを見ればお分かりただけるかもしれないが、基本的には過去のnote記事に通ずる部分がある。
両親の離婚
4人家族だった。父、母、姉、私。しかし私が4歳の頃、離婚した。そして姉弟も離された。
私は父の方へ、姉は母の方へ。もし姉弟が一緒だったら、また違う世界が広がっていたのかもしれない。基本的に「たられば」になるので過去に後悔はしないほうのだが、それだけが唯一悔やまれる。
当時4歳の自分に、「離婚」がどういったものかはわからない。
だけど昨日まで近くにいた人が当然目の前からいなくなる。その感覚はわかった。寂しさはわかった。
この頃からだろう。
「もう誰も離れてほしくない」
潜在的にそう思うようになったのは。
祖父母の存在
そんな自分にとって、祖父母の存在が支えだった。
親代わりに自分のことを育ててくれた。
愛してくれた。
そして期待をしてくれていた。
今思えば、自分が最後の頼みだったのかもしれない。
そんなことを置いておいても、今の自分がいるのは祖父母のおかげ。よくこういった家族の話をする中で、
「そんな大変な環境で育ったように見えないね」
と言ってもらえることがある。
これは決して自分が強いからなんかではなく、本当に祖父母のおかげだと思う。
だから小さい頃の私は(今でもそうだが)、祖父母の期待に応えようと頑張った。
目の前のことをとにかく全力で頑張り、結果を残そうと努力をし。勉強も、運動も、学校生活も。
この時期のおかげで、何かをやり切る力、成し遂げる力は定着したような気がする。
自分の立ち位置への葛藤
そんな「目の前のことを全力で頑張り、結果を残す」自分は、次第に学校の中で「優等生」扱いされるようになる。
部長や学級委員長や生徒会長。
見方によっては恵まれているのかもしれない。嬉しいことなのかもしれない。だけど気づけば周囲の期待が自分の現実の力量を超えていっているのがわかった。
頼まれごとを断れない自分は、なんとか周囲の期待に応える、ついていくのに必死な毎日になった。
小学校高学年ぐらいから、次第に周囲の家族との違いについても気になるようになる。
友達が楽しそうに家族で旅行に行った話や外食をした話などをしている。
だけど自分にそんな経験ほとんどない。
小学校には親子活動と呼ばれるものがあった。その中で親子ペアになって何かをするというケースがあるのだが、みんな当たり前だが親子でやっているのに自分の場合、友達の親とやったり先生とやったり。
「あ、自分って「普通」じゃないんだな」
そう思い始めたのがこの頃だ。
だけど周りに弱い部分を見せることはなかった。ましてや離婚しているなんて言ったことはなかった。
それは仲間外れにされるのが怖かったから。
強い自分が期待されているのだと思っていたから。
だから基本、愛想笑いでごまかしていた。
そうやって誰に対してもいい顔を見せていた時期である。
きっと潜在的に出来上がっている「もう誰も離れてほしくない」、その感情がそうさせたのだろう。
だけど心は泣いていた。
レールの上を走る日々
そうやって家族の、友達の、周囲の期待に応える日々を続けていた。時には自分を押し殺して。
もはやしょうがないと思っていた。
それが自分の宿命だと思っていた。
でも今になればわかる。決してそんなものじゃないって。
ただ、自分が自分と向き合うことから逃げていただけだったんだって。
あれだけ自分の周りで嘘が飛び交っていた環境の中で育ち、「自分は嘘をつかない人間になろう」そう思っていたのに、気づけば自分が自分に嘘をついていた。
こうやって自分の土台は小・中・高校と生活を送っていくうえで完成されていった。
だけど大学に入り、3つの出会いを経験することで転換期を迎える。
それはまた後日。
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