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正そう、と奮闘できる人でありたい

先日、「アンチヒーロー」をテーマに記事を書いた。

今自分が仕事以外でハマっていることがそれくらいしかなく、必然的にネタが集まってくるのもそこからなので、今回もその関連でちょっと書いていきたい。

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生きているうえで選択を迫られる機会ってものすごくたくさんある。
大きいものから小さいものまで。

生きている上で常にある、選択という作業。

人間に感情がなければ、AIだったら、物事の判別を「正しい」か「正しくないか」、その2択で選べるんだと思う。その2択って恐らく基準となるルールがあって、そのルールに基づいて選択される。

きっとそこまで難しくないんじゃないかなって。

でもそんな一筋縄じゃいかないのが人間で。感情が伴うのが人間で。それが悪さでもあり、良さでもある。そして選択にはさまざまな要素が影響する。

何が正しいかはわかっていても、自分が信じる(信じたい)正しさを押し通そうとして、選択を少しずつ間違えてしまうことがある。

ドラマ「アンチヒーロー」って、その選択を少しずつ間違えてきた人たちの中で、

「正そうと奮闘するもの」と「引くに引けなく、自分の正義を押し通そうとするもの」

の対立構造だと思っている。

これってドラマのことだからわかりやすく描かれているけど、いざ実際の場面でもよくあることなんじゃないかな、って。

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なんならずっと自分の近いところで、正すことが出来ずズルズルいってしまう人を見てきたこともある。

そんな自分も、何が正しいのかわからず、「その場しのぎ」をするためにとった選択とか発した言葉ってあると思う。

時に自分を守るためにとった行動が、正しいか正しくないかで見た時に「正しくなかったかもしれない」ということも大いにあるんじゃないかなって。それにその瞬間だけ切り取れば、正しくないことを選ぶ方が「正しい」時だってあると思っている。

ただ後に振り返った時、それが「正しくなかった」と気づいた時、それを正そうと奮闘できる人間でありたいなと心から思う。


「何回でもやり直すことが出来る」

って時に甘えの言葉のように聞こえるけど、人生のあみだくじで進んできた以上、過去に戻ることはできなくて。

そのルートを選んだからには、先に待っているのは「正そうとするか」「押し通すか」の2択しかない。じゃあどっちを選ぶか、という話。

また別の新しい「正しい方か」「正しくない方か」を迫られた時に、適切な方を選べばいい話。


正そう、と奮闘できる人間でありたい。

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