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知識が増えると視点が増える、視点が増えると優しくなれる

唐突だけど、人間が人だったり物事だったりに対して感情として”反発的”になるときってその多くは「知らないから」だと思っている。

相手のことを、対象のことを、たとえ知っていてそれでも「気に食わない」とか「納得いかない」というケースも当然あると思う。
でもそういうときって反発するにしても感情的にはならず、どこが気に食わないのか、どこに納得がいかないのか説明できると思っていて。説明をされたら相手もまだ納得がいく。

なぜなら感情よりも説明をした方が解決は早いから。

一方で人間全知全能じゃなく、当然知らないことも出てくる。
知らないことがあることは決して悪いことじゃない。ただ私たちは人間本来の性格からなのか、「知らない」ものに対して距離をとったり否定的な見方をするものだ。

恐らく自分を守るためのものなんだろう。

虫が苦手な人の理由の1つとして、「動きが予測できないから」があるのもこことつながってくるんじゃないかと思う。


話が少し脱線したので戻して。

知らないことに対して距離を置く、反発的になる、否定的になる。
これってすごくダサいし、もったいないことだと思っている。

あるバラエティ番組で流れてきたフレーズで印象に残っているものがある。

「知らないことを偉そうにするなよ。知らないことは恥だからな」

ちょっと表現としては強いけど、言わんとしていることはすごくわかる。巷には普通よりは有名なことに対して「初めて聞いた」「え、知らなかったんだけど」みたいに声を挙げる人がいる。

「知らないこと」をカッコいいと思っているのかもしれないが、でもそれって自分の無知をさらしているだけな気がする。それに、もしそれを知っていたら得られるであろう気づきや学びを失っているわけだから、結構な損失なんじゃないだろうか。

何かの知識がある、というだけでその分の視点が増える。
視点が増えることで自分が気付けるものが増える。想像できるものが増える。
気付きが増え、想像できるものが増えることで今よりもちょっと優しくなれる。

そんなことを個人的に思っている。


知らないものに対しては言葉や態度での反発しか表現できない。
でも知っていることで言葉で説明できるようになり、さらにはその先の選択肢や解決策を提示できるようになり、バックアップの体制も整えられる。

だからインプットはいつまでもいつまでも続けていきたい。

知っていることを増やしていき、いろんな人の視点に気付いていき、いろんな人の感情や悩み、喜びを想像していき、自分が出来ることを提供していきたい。

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