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基準の話

スタンダード:標準、基準、普通、人並み

言葉としての意味は明瞭でも、概念としての定義は実に抽象的だ。
よく使う言葉でありながら、それぞれが「スタンダード」を置く場所が違くて、それを意識せずに求めあうから衝突し合うこともある。

すごいもったいないことだし、もどかしいこと。
だからスタンダードのすり合わせをお互いにすることが大切なんだけど、そのためには対話が必要で、、、という話を今回するつもりはない。

なんならこれまでも書いてきた可能性がある。


今回はもっとミクロな話というか、個人の視点にフォーカスして。

「じゃあ自分はどこにスタンダードを置くか」
「相手のどこにスタンダードを求めるか」

ということを考えてみたい。

とは言ってもそこに難しい話はなく。
結局は「目的」とそれに対しての「目標」がどこにあるかなんだと思う。
自分(たち)次第ということ。

甘く設定をすれば甘く出来るし、厳しく設定すれば厳しく出来るし。
つまりUFOキャッチャーでいうところのアームの強さが強いか、弱いか、みたいな?(UFOキャッチャーはどう考えてもアームが強い方がありがたいが)

スタンダードを甘く置けば、「出来る」は実現するかもしれない。
だけど見える景色は半径数メートルほどで、それより外の世界は見えない。

一方でスタンダードを厳しく置くと、当然ながら「出来ない」にも直面する。ただ今の段階ではたどり着かなくても、見える景色はぐっと広がっている。半径数キロメートルとか。見えてるからこそ目指せるものってある。


何が正しいじゃなくて、何を求めるかの話であって。
求めるものに対しての基準をどこに置くか、という話。

だからどっちが正解とかじゃなくて、組織によって違うだろうし、人によって違うだろうし、同じ人の中でも境遇・場面によって違ってくるんじゃないかなと。

求めるところには自分にも周りにも求めていきたいし、
求めなくてもいいところは踏み込まないことも時折大切かな。


「期待」とか「見返り」みたいな言葉があるけど、
とりあえずは「自分がどうしたいか」を大事にして判断していきたい。

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