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「なぜ」の説明をサボらない

社会人になってからの愛用品の1つと言えばkindleだ。

通勤時とか、ちょっとしたすき間時間とか見つけたらkindleで本を読むことが増えた。趣味読書ってカッコいいから、カッコいい大人になりたくて、、、、というのは半分本当で半分嘘で。(笑)

シンプルに何かに追われる時間が増えた社会人生活の中で、それでも常に何かをインプットしておきたいという思いがある。というかインプットがなくなるとこのnoteでアウトプットするものもないし。そこですき間時間で効率よくインプットできる手段として選ばれたのが読書だった。

紙の本で読むのも好きだ。
あのページをめくる感じだったり、読んだ痕跡が残る感じだったり、読み返したいポイントにすぐに戻れる感じだったり。

だけど読む本が増えれば増えるほど荷物多くなるし、移動中に読むにはスタイリッシュじゃないときもあるし、読みたいと思ってから買って手元に来るまでタイムラグあるし。

そんなこんなでkindleを購入したのはちょうど1年前くらい。

何回も読み返したい、そう思う本は紙でも買っている。

こんなに本を読むなんて、小学生の頃の自分に伝えたらきっと笑われる。

「お前が本読むなんて(笑)」

むしろ「本読みなさい!!」なんて怒られていたこともあったくらいなんだから。その頃の自分は本を読む時間があったら野球していたいし、ランニングしていたいし、友達と遊んでいたい自分だった。

やっぱり誰かに言われてやるよりも、自分でやりたいと思ったときに人はその対象にのめり込むんだなと思った。


でもその本人から湧き出てくる「やりたい」っていつ出てくるかわからない。誰にでも湧き出てくる可能性がある一方で、一生出てこない可能性だってある。

学校の先生だったり、例えば何かの支援員だったり、それこそ親だったりはじゃあ自分の大切な生徒であったり、利用者さんだったり、子どもだったりにどう伝えたいことを伝えていけばいいんだろう。本人がやる気になるのを「待つ」しかないのだろうか。

それじゃあいつになるかわからない。

じゃあどうやって「これをした方がいいよ!」ということを、行動につながるまで促していけばいいんだろう。

そこで一つ、kindleで読んでいた本からヒントを得た。

それが「なぜ」の説明をサボらないこと、だ。

本にはこのように書かれていた。

”「なぜ」の説明が腑に落ちないと、人はアクセルを踏み切れない。”

その言葉に私自身が腑に落ちた。

子どもの頃、こんな疑問を持った方もいるんじゃないんだろうか。

「なんで勉強するの?」
「将来これが何の役にやつの?」
「なんでこの公式を使うの?」

教える側にとっては耳の痛い質問でもある。
でもここがバチッとはまれば、腑に落ちれば一気に虜になる可能性も秘めていると思っている。

確かに私自身、納得いかないことに対して動き出せない、モヤモヤが残るというケースが時折ある。でもそのモヤモヤが晴れて、方向性が決まったとき結構加速する。

おもんないと感じるのがいけないのか。
わかんないから、おもんないのか。

自分の中で折り合いをつけろ、という話でもあるとは思うが、それは当事者の話。周りが出来ることは何かと考えたときにその「なぜ」を丁寧に説明することなんじゃないかって思った。

「そういうものだから」と一蹴するのは簡単だけど、それは説明を放棄しているのと一緒だ。大変なんだけどそこを説明することで、目の前の相手のためにもなるし、相手との関係で信頼も築かれていくんじゃないかって。

だから移行支援での支援のとき、私は意識的に「なぜ」を伝えていく。その訓練課題を提供するのはなぜか、を言葉にして伝えていく。まだまだ言葉足らずな部分もあるから、時には「○○さんはどう思いますか?」であったり「一緒に考えましょう」みたいにすることもあるけど。(笑)そこは今後の伸びしろ。

そしてちゃんと説明すると、ちゃんと「なるほどね!」と納得してくれる。そのたびに「あ、伝えて良かったな」って思う。


「なぜ」の説明をサボらない。

これは今後も大事にしたいこと。

自分自身も「なぜ」それをするのか、常に向き合っていきたい。





あ、ちなみに毎日note800日目でした。

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